押坂内陵(読み)おしさかのうちりよう

日本歴史地名大系 「押坂内陵」の解説

押坂内陵
おしさかのうちりよう

[現在地名]桜井市大字忍阪

舒明天皇陵。「日本書紀」によれば舒明天皇は皇極天皇元年一二月二一日に「滑谷岡」に葬られ、翌二年九月六日に押坂陵に改葬されている。「延喜式」(諸陵寮)には「押坂内陵高市崗本宮御宇舒明天皇、在大和国城上郡」とあり、これを「大和志」は「在忍坂村上、今称たん冢」とする。現在舒明天皇陵に比定されるものは外鎌とかま山西南麓にあり、上円下方墳とも八角墳ともいわれるが詳細不明。

また「延喜式」(諸陵寮)には舒明天皇の母糠手姫皇女(田村皇女)の「押坂墓田村皇女、在大和国城上郡、舒明天皇陵内」があるので、舒明天皇陵に合葬されたものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報