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荒木田久老 あらきだ ひさおい

美術人名辞典の解説

荒木田久老

江戸中・後期の国学者。伊勢山田の人。度会正身の子。名は正董、号は五十槻園、通称は主税。賀茂真淵の門。荒木田久世の嗣子となり、内宮権禰宜に補せられる。文化元年(1804)歿、59才。

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デジタル大辞泉の解説

あらきだ‐ひさおゆ【荒木田久老】

[1746~1804]江戸後期の国学者・歌人。伊勢内宮の神官。号、五十槻園(いつきぞの)。賀茂真淵(かものまぶち)に学び、のち、同門の本居宣長と対立。著「万葉考槻の落葉」「日本紀歌解」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

荒木田久老 あらきだ-ひさおゆ

1747*-1804 江戸時代中期-後期の神職,国学者,歌人。
延享3年11月21日生まれ。橋村正身(まさのぶ)の次男。安永2年荒木田久世の養子となり,のち伊勢内宮権禰宜(ごんのねぎ)をつぐ。賀茂真淵(かもの-まぶち)の門にまなび「万葉集」の研究に業績をあげた。文化元年8月14日死去。59歳。初名は正恭,正董。通称は弥三郎,主税。別号に五十槻園(いつきのその)。著作に「信濃漫録」,家集「槻の落葉歌集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

荒木田久老

没年:文化1.8.14(1804.9.17)
生年:延享3.11.21(1747.1.1)
江戸中期の国学者,歌人。本姓度会。初名正恭。主税,主殿,斎と称す。号五十槻園。荒木田久世の養子となって伊勢内宮権禰宜に補せられる。従四位下。明和2(1765)年に江戸へ下って賀茂真淵に入門,『日本書紀』の歌謡や『万葉集』の研究に導かれて業績を残す。この分野では『日本紀歌解槻乃落葉』や『万葉考槻落葉』が代表的著作である。久老は大和,河内,信濃と古代の遺跡を求めて行脚したり,京大坂の国学者と親交を結んだりと,1カ所にとどまることなく行動範囲を広げ,その性格から多くの知友・門人に恵まれたが,論証の緻密さの点で本居宣長らに一歩譲る。しかしその意欲的な著作には注目すべきものが多い。家集に『槻落葉歌集』がある。<参考文献>神宮司庁編『荒木田久老歌文集並伝記』

(久保田啓一)

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世界大百科事典 第2版の解説

あらきだひさおい【荒木田久老】

1746‐1804(延享3‐文化1)
江戸後期の国学者。伊勢神宮権禰宜。本姓橋村,名は正恭(まさやす),通称弥三郎。号は五十槻園(いつきのその)。賀茂真淵に従学し,伊勢では本居宣長と並称された。豪放不羈(ふき)な性格で,日々遊興を事としながら,その間も研鑽を怠らず,学者としてよく一家をなした。主著に師の《万葉考》に次いで著された《万葉考槻落葉(つきのおちば)》をはじめ,《日本紀歌之解》《竹取翁歌解》等があり,また《祝詞考》等,真淵の著作の校訂出版にも力を注いだ。

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大辞林 第三版の解説

あらきだひさおゆ【荒木田久老】

1746~1804) 江戸後期の国学者・歌人。伊勢内宮の神職。号、五十槻園いつきのその。賀茂真淵に学び、万葉風の和歌をよくした。著「万葉考槻落葉」「日本紀歌解」、家集「槻落葉歌集」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

荒木田久老
あらきだひさおい

[生]延享3(1746)
[没]文化1(1804).8.14.
江戸時代後期の国学者,歌人。伊勢内宮の神官。幼名正恭,のち久老,五十槻園 (いつきのその) と号す。賀茂真淵の門に入り,国学を学び,ことに『万葉集』を研究。伊勢において本居宣長とともに古典研究家として重きをなした。著書『万葉考槻乃落葉』『日本紀歌解』,家集『五十槻園集』。

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