忍坂村(読み)おつさかむら

日本歴史地名大系 「忍坂村」の解説

忍坂村
おつさかむら

[現在地名]桜井市大字忍阪(おつさか)

外鎌(とかま)山西麓、粟原(おうはら)川沿いに所在。女寄(めより)峠へ至る街道筋にあたり、古代の忍坂郷で、五世紀頃とみられる和歌山県隅田(すだ)八幡神社蔵人物画象鏡に「意柴沙加(おしさか)」の宮名を刻む。中世には忍坂庄があった(→忍坂郷 →赤尾庄)。元禄郷帳には「恩坂村」とある。

慶長郷帳の村高四三六・五三石で織田有楽(長益)領。元和七年(一六二一)その急逝で幕府領(代官中坊秀祐)に編入。天和二年(一六八二)旗本戸田忠時が伏見奉行に任じられたとき式上郡で一千石の采地を与えられ、当村の村高三九石余が属し、さらに貞享二年(一六八五)旗本大岡忠高が奈良奉行に就任の際式上郡で五〇〇石の采地を与えられ、当村で得ている。延宝検地もあり、村高は六九二・五三九石余で、幕府領、戸田氏・大岡氏の相給地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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