日本歴史地名大系 「持丸村」の解説 持丸村もちまるむら 福岡県:甘木市持丸村[現在地名]甘木市持丸下淵(したふち)村の南、小石原(こいしわら)川の中流左岸、大平(おおひら)山の北西麓に位置する。夜須(やす)郡に属し、西は大塚(おおづか)村(現三輪町)、南は菩提寺(ぼだいじ)村、南東は下座(げざ)郡堤(つつみ)村。集落は本村のほか三本松(さんぼんまつ)・五郎丸(ごろうまる)・入江(いりえ)にあり(地理全誌)、古くは入江持丸村ともいった。元和九年(一六二三)からは秋月藩領。小早川時代の指出前之帳では入江持丸村の田三〇町余(分米三九〇石余)・畠四町余(分大豆二五石余)。 持丸村もちまるむら 大分県:大野郡野津町持丸村[現在地名]野津町山頭(やまず) 持丸八熊(はちくま)村の南東にある。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には持丸村が八熊村など四ヵ村と一括された一冊が含まれ、村位は下。同一一年の惣御高頭御帳に村名がみえ、高一四一石余。中ノ村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば田方九六石余・畑方四五石余。正保郷帳に村名は記載されず、竹辺(たけべ)村分のうちに含まれる。江戸時代後期の免は九ツ四分一朱(「雑録」臼杵藩政史料)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by