持倉村(読み)もちくらむら

日本歴史地名大系 「持倉村」の解説

持倉村
もちくらむら

[現在地名]黒川村持倉

牟礼むれ(六一六・四メートル)から流れ出る霧出きりで川が北流し、アケビさわ川・吉田沢よしたさわ川・赤長沢あかながさわ川が合流する。東は尾根を隔てて黒俣くろまた村、北は荒沢あらさわ村に接する。村名は牟礼山に建立されたと伝えられる持倉じそう寺に由来するといわれる。

元亨元年(一三二一)七月二一日の佐々木(加地)有綱打渡状(三浦和田氏文書)に「奥山庄草水条持倉」とみえ、ほか三ヵ所とともに和田又四郎(黒川章連)へ打渡された。翌二年七月七日には章連と伯母平氏(河村太郎次郎入道浄阿妻)との相論について関東下知状(同文書)が出されている。平氏は多勢を率いて刈田狼藉を行い、また持倉と長谷ながたに草水くそうず条内ではなく鍬柄くわえ条内であると主張し、さらに嘉元四年(一三〇六)五月一〇日付の兼連(章連の父)避状を提出して両所の領有を主張した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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