持永只仁(読み)モチナガ タダヒト

20世紀日本人名事典 「持永只仁」の解説

持永 只仁
モチナガ タダヒト

昭和・平成期の人形アニメーション作家



生年
大正8(1919)年3月3日

没年
平成11(1999)年4月1日

出生地
佐賀県佐賀市金立町

出身地
東京・神田錦町

別名
中国名=方 明

学歴〔年〕
日本美術学校応用美術科〔昭和13年〕卒

主な受賞名〔年〕
バンクーバー国際映画祭児童映画部門最高賞〔昭和31年〕「ちびくろサンボのとらたいじ」

経歴
昭和14年芸術映画社入社、アニメ制作に従事瀬尾光世の下で日本初の多層式アニメ撮影台を開発。20年満州へ渡り、満州映画協会に入社。敗戦後も中国に残り、新設の東北電影製片廠で教育宣伝映画製作のかたわら映画技術者を養成。25年上海電影製片廠美術片組創立に参画。この間、人形アニメを独自に創始。28年帰国。30年人形映画制作所設立。31年日本初の人形アニメ「瓜子姫とあまんじゃく」を完成。同年の「ちびくろサンボのとらたいじ」ではバンクーバー国際映画祭児童映画部門最高賞を受賞。35年MOMプロダクション設立、42年退社。54年再び中国に渡り、中国通信社に入社し、ニュース映画製作に携わった。日中両国のアニメ技術の交流に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「持永只仁」の解説

持永只仁 もちなが-ただひと

1919-1999 昭和-平成時代のアニメーション作家。
大正8年3月3日生まれ。昭和14年芸術映画社にはいり,多層式アニメ撮影台を開発。20年満州映画協会にはいり,終戦後も中国で技術者の養成にあたる。帰国後,30年人形映画制作所を設立,31年日本最初の人形アニメ「瓜子姫とあまんじゃく」を製作。平成11年4月1日死去。80歳。佐賀県出身。日本美術学校卒。中国名は方明。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android