持河内村(読み)もちごうちむら

日本歴史地名大系 「持河内村」の解説

持河内村
もちごうちむら

[現在地名]養父町餅耕地もちごうち

まち村の南西建屋たきのや川左岸の支谷流域を村域とし、北は能座のうざ村。江戸時代は幕府領(寛永一六年知高帳・宝暦七年但馬国高一紙、「但馬国高附郡訳手控」岡田家文書など)。文禄四年(一五九五)名寄帳(朝日家文書)によると高一一二石余、うち田方八八石余(八町八反余)・畑方二三石余(五町余)。寛永一六年(一六三九)の知高帳では高八四石余。延宝七年(一六七九)の田畑改帳(朝日家文書)では田方七九石余(七町六反余)・畑方五石余(一町四反余)。同年以降、元禄五年(一六九二)までの間のものと思われる人別帳(松下家文書)によると家数三二、うち下作九・木売七・日用(日傭)二、樵・炭焼各一などがおり、明和四年(一七六七)口上書(同文書)にも年々炭竈役銀五匁三分四厘を納めて、百姓持林で炭焼をしていることが記されており、他の建屋谷諸村と同じく山林利用に依存する割合が高かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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