掛澗村(読み)かかりまむら

日本歴史地名大系 「掛澗村」の解説

掛澗村
かかりまむら

[現在地名]茅部(かやべ)郡砂原町字掛澗度杭崎(かかりまどぐいざき)・字小石崎(こいしざき)・字場中(ばなか)・字押出(おしだし)

近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。現砂原町の西端に位置し、北は太平洋(内浦湾)、南は砂原岳(一一一三・二メートル)の北西麓。近世は天保郷帳の「従松前東在」に砂原の持場として「掛澗」とみえる。支配領主の変遷は砂原に同じ。

「蝦夷迺天布利」によると寛政三年(一七九一)菅江真澄は砂原から北に向かい、「モンベサハラ」(現紋兵エ砂原)を過ぎて「懸り間」を通り、稲荷を見ながら「このあたりに苫屋のいと多く、草の中に、あばれてならびたてり、こはみな、春鯡の漁りのために立つる魚家」と記す。寛政一〇年には「かゝり間村」の家数九軒、名主平四郎(木村「蝦夷日記」同年五月二八日条)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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