掛畑村(読み)かけはたむら

日本歴史地名大系 「掛畑村」の解説

掛畑村
かけはたむら

[現在地名]岡山市掛畑

真星まなぼし村の北に位置する。孝謙天皇の代、一片の幡が飛下り樹木に掛かったと伝える懸幡かけはた嶽があり、北の千舛ちます(広面峠)を越えると備前広面ひろも(現御津郡加茂川町)である。正保郷帳には足守藩粟井あわい村の枝村として懸畑村を記す。足守藩の貞享二年(一六八五)賀陽郡・上房郡寺社改帳(総社市史編さん室蔵)に掛畑村とあり、高二三六石余、家数四九・人数二五七、氏神明見みようけん大明神、ほかに山之神・荒神社・大宰社・王子権現・地蔵堂があるが寺はなく、旦那寺は上高田かみたかた村の南台坊(現三宝院)


掛畑村
かけはたむら

[現在地名]八尾町掛畑

上笹原かみささはら村の北東久婦須くぶす川左岸にある。正保郷帳には掛畠村とみえ、高は上黒瀬かみくろせ村・小原おはら村・滝脇たきのわき村・岩屋いわや村と合せて一千二九石余、田方二七町九反余・畑方四〇町六反余。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高五二九石余。寛政二年(一七九〇)の高も同じで、定免四ツ六歩六厘、新田高八石・平均免二ツ六歩、定小物成銀は山役一七匁余・漆役三四匁余・蝋役四匁余・鮎川役四匁(高物成品々手鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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