揖斐郷
いびごう
「和名抄」高山寺本に「
斐」、東急本に「楢斐」とある。「楢斐」はイビとはよめず、ユヒが適当。「
」は「揖」の異体字と見ると、イヒとよめる。天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸・庄園并寺用雑物目録(東南院文書)に「伊備郷」とあり、中世以降「揖斐」「伊尾」の用字がみえる。ユヒからイビへの変化より、イヒからイビへの変化のほうが自然である。比定地は現揖斐郡大野町中央部の大衣斐・小衣斐を遺存地名とし、鶯村一帯とする説もあるが(日本地理志料)、一般には中世の揖斐庄域とされる同郡揖斐川町北部の北方・大和地区を中心とする一帯にあてている(「濃飛両国通史」「揖斐郡志」「岐阜県史」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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