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元弘の乱 げんこうのらん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

元弘の乱
げんこうのらん

元弘1=元徳3 (1331) 年後醍醐天皇が計画した鎌倉幕府討滅クーデター正中の変 (1324) に失敗した天皇は,再び討幕を企てた。この計画は事前に六波羅探題の察知するところとなり,参画者日野俊基,僧円観らは捕えられ,天皇は元弘1=元徳3年8月笠置山に逃れ籠城したが,翌年六波羅に遷され隠岐に流された。

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百科事典マイペディアの解説

元弘の乱【げんこうのらん】

1331年―1333年(元弘1年―3年)の鎌倉幕府の滅亡,建武政権の樹立に終わる全国的内乱。天皇親政の理想にもえた後醍醐天皇は大社寺や畿内の小武士団を主力に挙兵したがいったん敗北。
→関連項目赤坂城赤松則村阿蘇惟時菊池氏後伏見天皇斯波高経正中の変千早城鎮西探題新田氏日野資朝日野俊基北条氏北条高時文観湯浅党六波羅探題

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世界大百科事典 第2版の解説

げんこうのらん【元弘の乱】

後醍醐天皇が1331年(元弘1)鎌倉幕府を倒そうと企てた政変。天皇は24年(正中1)に討幕を計画して失敗したが(正中の変),幕府の内部事情も手伝って苦境をのりきり,なおも政権の座にとどまっていた。しかし天皇の討幕の決意は固く,政権の奪回に懸命な持明院側から26年(嘉暦1)に病没した邦良皇太子のあとに量仁(かずひと)親王(後伏見上皇の皇子)が立つに及んで,再度の討幕計画が具体化した。天皇は意欲的に施政につとめ政権担当者としての権力を強化する一方,尊雲法親王(護良親王)を天台座主に据えたり,聖尋僧正や円観を重用することなどによって天台・真言両宗系の僧兵を掌握することにつとめた。

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