摩堀川
さつまぼりがわ
阿波堀川から岡崎橋の西で南に分流し、北西に屈曲して百間堀川に注いでいた堀川。両岸一帯の地域を薩摩堀とよぶ。昭和二六年(一九五一)埋立てられて姿を消したが、かつての流路は現在の西本町三丁目・立売堀四―五丁目に含まれる。開削の中心人物は薩摩屋仁兵衛で、寛永五年(一六二八)に着工し同七年完成した(大阪市史)。開発当初は阿波座新堀とよばれ、また広教寺の願慶堂に沿っていたため願慶寺堀とも称されたが、薩摩の商船が出入りし、薩摩藩の国産品がこの新堀川に限って荷揚げされることになったため、薩摩堀川と称されるようになった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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