摩訶耶寺(読み)まかやじ

日本歴史地名大系 「摩訶耶寺」の解説

摩訶耶寺
まかやじ

[現在地名]三ヶ日町摩訶耶

釣橋つりばし川左岸にある高野山真言宗寺院。真萱寺とも称した。山号は大乗山、本尊聖観音。神亀三年(七二六)に行基を開基として建立された井伊谷いいのや(現引佐町)新達寺が千頭峯せんどうがみねの地に移されて真萱寺と改称、さらに山続きの現在地に移されて摩訶耶寺と称したという(延宝三年「摩訶耶寺縁起覚書」摩訶耶寺文書)。確実な初見は、弘安七年(一二八四)三月六日に「真萱寺」と大福だいふく寺との本末相論の調停を図るよう、伊勢神宮が浜名香王に下知したというものである(「寂禅奉書写」大福寺文書)。本末相論は暦仁元年(一二三八)から仁治元年(一二四〇)頃にはすでに始まっていたようで、何度かの再燃を繰返し、南北朝期末頃には一応の終息を迎えたらしい。両寺はともに真言宗寺院で、とくに鎌倉期以降は大福寺が興隆したことから、これに危機感を覚えた当寺が本末相論を通じて影響力を保持し続けようとしたものと思われる(→大福寺

両寺には協力関係がまったくなかったわけではなく、応長元年(一三一一)一一月二八日に大福寺で御堂供養の大曼荼羅供修が行われ、舞楽が演じられた際には、「摩訶耶寺」の兵部公が笙笛、顕日坊が笛で参加し、高座天蓋などを貸出している(同年一一月二九日「大福寺御堂供養記」大福寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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