日本歴史地名大系 「大福寺」の解説
大福寺
だいふくじ
〔創建など〕
寺伝によれば、貞観一七年(八七五)に
〔摩訶耶寺との本末相論〕
当寺が自立化を強め、土地集積により勢力を拡大するに伴い、同じ真言宗寺院の
大福寺
だいふくじ
大福寺
だいふくじ
厚狭盆地を南流する厚狭川の東、東西に貫通する旧山陽道の北、
「寺社由来」によれば、往古真言宗
なお、京都五山
大福寺
だいふくじ
大福寺
だいふくじ
文化五年(一八〇八)七月第一一世霊恩代が大庄屋に提出した文書に「当寺開基は法名宗昧と申す者なり。宗昧実父の法名行念と申せしが(中略)当村村上みに一庵を結び居りしに、行念の実子宗昧に当山の院主地蔵菩薩より度々の御告、当地は至つて仏法有縁なるゆえ今の堂場をうつすべしとの霊告を蒙りしによつて、御告にまかせ開基、此地に一宇を建立し、東本願寺第十三代宣如上人御代寛永十二乙亥暮初冬七日寺号木仏等御免を蒙り、夫より専ら弘法教尊なし」とある。
大福寺
だいふくじ
大福寺
だいふくじ
大福寺
だいふくじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報