浜名神戸(読み)はまなかんべ

日本歴史地名大系 「浜名神戸」の解説

浜名神戸
はまなかんべ

現三ヶ日町の猪鼻いのはな湖北岸一帯に比定される古代・中世伊勢神宮領。遠江神戸ともみえる。浜名神戸のうちには宇治乃うじの御厨大崎おおさき御薗大墓おおつか御薗・北原きたはら御薗・佐久目さくめ御薗・但木たたき御薗などが形成され、岡本おかもと郷・津々木つづき郷・なか郷・贄代にえしろなどがあった。なお史料にみえる浜名御厨・浜名庄・浜名郷も浜名神戸と同地域をさすとみられる。

〔成立と概観〕

「神宮雑例集」によれば、浜名神戸は伊勢神宮側が国造貢進と称して律令国郡制以前に成立したと主張する遠江国の本神戸四〇戸にあたるという。伊勢神宮へは上分・給主得分のほか、三月三日の種薑御贄、六月の三河神戸・遠江神戸に薦を貢進させる庁宣を下すための円田所当麦、および一〇月一日の二宮荷前としての生・御綿を貢進していた。なお同書には遠江国の新神戸一〇戸と新加神戸一〇戸がみえ、前者中田なかた神戸(現浜松市)と号している。建久三年(一一九二)八月日の伊勢神宮神領注文写(神宮雑書)にも本神戸は国造貢進と記される。「神鳳鈔」は本神戸と新神戸を取違えているため、浜名神戸にあたる本神戸の本田数は一九一丁六段、年貢は四四石八斗。年月日未詳の太神宮諸官任料注進状(公文抄)によれば、浜名神戸司の任料は上絹三〇疋・上馬二疋であった。

〔平安後期〕

承暦四年(一〇八〇)遠江守源基清が尾奈おな御厨を停止して三〇余町の作田を刈取った際、隣接する浜名本神戸田をも刈取ったことで伊勢太神宮司に訴えられ、同年五月八日に陣定で審議されている(帥記・水左記)。基清は刈取った稲二十束余を書生宅に返却したと主張したが、刈取をしたことが失錯とされ、永保二年(一〇八二)一一月一二日に遠江守を罷免された(百錬抄)。保延六年(一一四〇)三月二五日、僧泉胤(泉澄か)が当神戸において書写を行った(「某書奥書」金沢文庫古文書)。承安二年(一一七二)には藤原俊成の妨げにより浜名神戸司職が停止したことで「浜名御厨」から朝廷に訴えが出され、明法博士の勘進が遅滞したが、伊勢神宮からの再三の訴えもあって翌年一月に俊成の妨げを停止する宣旨が下された(「玉葉」同二年一二月八日条・同三年正月二五日条)。なおこの相論の時のものと思われる浜名御厨の文書は文書櫃に入れられて蔵人所から九条家に渡され、九条兼実に披見されている(同書同五年六月四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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