日本の雅楽のジャンル名。外国渡来の音楽に源をもち,雅楽器の伴奏によって舞を鑑賞するものをいう。公家や楽人が互いに舞を披露してみずから楽しむ目的から発したものであることは,管絃などと変りがない。なお,外来音楽の渡来以前から日本にあった音楽や舞踊,あるいはそのスタイルを模して作られた御神楽(みかぐら)の儀の中の舞,久米舞,東遊(あずまあそび)などに関しては,普通は舞楽という呼び方はしない。
今日の舞楽の源となる楽舞が,中国や三韓,あるいはそれらの地を経由して諸外国から盛んに渡来したのは8世紀前後からであり,当時は,かなり雑多なスタイルと種々の楽器を包含していたとみられる。また,これらの楽舞の行われる機会も,9世紀に入ってからとは異なり,奈良時代の仏教儀式と結びついたり,したがって演奏の人員なども多かったり,音量などもかなり大きいものも含まれていたと考えられる。このような外来楽舞の全盛期は,おそらく752年(天平勝宝4)の東大寺大仏開眼供養あたりであったろう。9世紀初頭までに伝わった外来楽舞としては,唐楽,高麗楽,百済楽,新羅楽,度羅楽(とらがく),林邑楽(りんゆうがく),呉の伎楽などが知られ,このほか渤海楽(ぼつかいがく)の記事もある。
9世紀の半ばごろから,これら外来音楽の内容を取捨整備し,あわせて日本人の好みに合った音楽へ改変する,いわば外来音楽の国風化の気運が高まった。舞楽の場合は,まず伴奏楽器群(管方(かんかた))の内容の整理統一や,伝来曲の改作や補作,さらには外来曲のスタイルを模しながらもわが国の好みに合った作品を創作するなどのことが行われたが,その結果,従来伝えられていた各種の外来音楽を大きく二つに分類して,唐楽(とうがく),高麗楽(こまがく)とした。これらの内容は当然,9世紀初頭の外来音楽のなかの唐楽,高麗楽とは異なっている。唐楽は,中国の,および中国経由で日本に伝わったとされる楽曲を含み,この中には林邑楽も含まれている。高麗楽は朝鮮半島の,および朝鮮経由で伝わったとされる楽曲を指し,渤海楽もここに含まれている。少なくとも現在では,各地域別の個性よりも,この2分類によるスタイルの相違のほうが,舞,音楽ともに強く定着している。一方,舞楽上演の際,唐楽と高麗楽とを対(つい)にして演じたり,これを左方(さほう),右方(うほう)の楽舞に分類して儀式に用いたり,勝負事の催しに,勝った側の楽舞を行ったりするようになった。現在,唐楽系のほとんどの舞楽曲が,いわゆる左舞(さまい)に属し,高麗楽系のすべての舞楽曲が右舞(うまい)に属している。これら左舞,右舞は,管弦の諸楽器の伝承とともに,それぞれ,そのどちらかを,各楽人が伝承することになっている。
舞楽の分類には,唐楽・高麗楽,あるいは左舞・右舞という分類と,これとは別の観点から平舞(ひらまい),走舞(はしりまい),文ノ舞(ぶんのまい),武ノ舞(ぶのまい),童舞(わらべまい)/(どうぶ)といった分類がある。唐楽・高麗楽の分類の経緯は前述したが,左舞・右舞に関しては,現行の唐楽曲のうち《還城楽(げんじようらく)》《抜頭(ばとう)》2曲は左舞・右舞の双方に伝を残し,《陪臚(ばいろ)》1曲はもっぱら右舞の中でのみ伝えられている。したがって現行の左舞の全レパートリーは唐楽系,右舞は現行の高麗楽系舞楽全曲と,前記3曲の唐楽系舞楽をそのレパートリーとしている。この一見煩瑣(はんさ)な分類は,舞楽伝承の各楽家(三方楽所(さんぽうがくそ),天王寺方)の宮中における持場との関連によるものであるが,原則として,左舞には赤系統の装束,右舞には緑・青系統の装束を着ける。伴奏楽器の編成は,唐楽・高麗楽の別によって区別される。唐楽では,管楽器として笙(しよう),篳篥(ひちりき),竜笛(りゆうてき)各若干名と,打楽器の羯鼓(かつこ),大太鼓(だだいこ),大鉦鼓(だいしようこ)各1名ずつ,高麗楽では,管楽器の篳篥,高麗笛(こまぶえ)各若干名に,打楽器としては唐楽の羯鼓に代わって三ノ鼓がアンサンブルの統率を行い,このほかに大太鼓,大鉦鼓各1名が加わる。なお,右舞で行われる唐楽の場合のみ,打楽器の羯鼓が三ノ鼓に代えられる。これら楽器の音色からくる相違のほかに,曲の構成のうえでも,唐楽と高麗楽とは区別されているが,この点については後の〈演奏スタイルと構成〉で述べる。
平舞,走舞,文ノ舞,武ノ舞,童舞などは,曲の速度や舞人のキャラクターに基づく分類である。平舞と走舞は主として舞の速度による分類であり,平舞がテンポの緩やかな舞,走舞はテンポの急な舞である。文ノ舞,武ノ舞,童舞は舞の,あるいは舞人のキャラクターにかかわる分類であるが,このうち,武ノ舞は舞の速度にかかわる表示としても用いられることがあり,その場合は平舞と走舞の中間の速度と考えられているようである。文ノ舞は武ノ舞と対照的な,すなわち文官の舞,あるいは優美な舞というほどの名称であるが,この舞はテンポの点ではそのほとんどが平舞と同等である。童舞は原則として稚児によって舞われる舞であり,唐楽の《迦陵頻(かりようびん)》,高麗楽の《胡蝶(こちよう)》などがこれに属する。なおこの分類は,舞人の人数や装束(舞楽装束),仮面(舞楽面)を着けるか否かなどの点にもかかわりがあり,たとえば平舞は四人舞や六人舞など多めの人数で,たいていは裳裾(もすそ)の長い装束を着け,その大半が仮面を着けずに舞われるのに対し,走舞ではたいてい1人か2人の舞人により,たとえば裲襠(りようとう)装束のような比較的活発に動きやすい装束を着け,またそのほとんどは,動物や,人間をカリカチュア化したような仮面を着けて舞う。
舞楽の演奏スタイルは,純粋器楽合奏である管絃との比較のうえからと,唐楽と高麗楽の間のスタイルの相違の点からと,その双方から考察できる。まず管絃との比較からみると,舞楽における楽器群は明らかに舞の伴奏のための従属的な立場にあり,当然のことながら舞に合わせて演奏することを第1の目的としている。その結果すべての楽器が,拍節を何よりも明確に強調し,ことに曲の終末部分にはそれが顕著にあらわれる。また,舞楽はもっぱら屋外演奏をたてまえにしていたもののようで,そのなごりは現在の屋内舞台の造作にも見受けられるが,このことは楽器の演奏にも反映しており,微妙な音のニュアンスよりは,ダイナミックな表現と大きな音量を目的としている。管楽器奏者の人数も管絃の場合よりは多めにし,また打楽器のうち太鼓と鉦鼓については,管絃用のものよりはるかに大型のものを用いる。このため管絃用の楽太鼓や鉦鼓は座奏されるのに対し,舞楽の大太鼓,大鉦鼓は立奏される。このような舞楽特有の楽器の演奏スタイルを舞楽吹(ぶがくぶき)あるいは舞立(まいだち)といって管絃のそれと区別している。なお,舞楽の伴奏楽器群は管方と呼ばれ,舞台の後方の一隅に席を設け,服装も,管絃の場合とは異なり襲(かさね)装束を着ける。西洋音楽に比較するならば,さしずめ室内楽奏者とオペラあるいはバレエの伴奏楽員との立場の相違に匹敵しよう。
唐楽,高麗楽が伴奏楽器の編成を異にすることはすでに述べたが,その結果双方のアンサンブルには,笙の有無,羯鼓と三ノ鼓の音色の相違,高麗笛と篳篥のあいだの独自な旋律線の交錯などからくるそれぞれ異なった音の雰囲気が聴かれる。元来,唐楽と高麗楽とは,対照的なスタイルをもつべく考えられたもののようで,それは,唐楽の洗練,高麗楽のひなびた素朴さの美といった表現で代表され得よう。このことは舞の所作や伴奏楽器の扱いばかりでなく,曲の構成にも反映している。その一つは楽章構成と登・退場楽の関係にみられる。舞楽では中心となる舞曲(当曲(とうきよく)という)のほかに必ず舞人の登・退場のための音楽を必要とし,このほか曲によっては序奏や間奏曲,あるいは当曲自体が数楽章に分かれるものなどいろいろあるが,これらの楽章と,舞人の登・退場,演舞の関係が唐楽と高麗楽とでは異なる。唐楽では当曲の前後に,これとは別個の調子の品玄(ぼんげん)・入調(にゆうぢよう),各種の乱声(らんじよう),乱序(らんじよ),道行(みちゆき)などの登・退場楽をもつものがほとんどであるのに対し,高麗楽では《高麗乱声(こまらんじよう)》という登場楽をもつものが数曲ある以外は,ほとんどの曲が当曲の間に登場,演舞,退場するという簡素化された形をもつ。その代り,舞人が楽屋にいる間に奏される序奏曲に関しては,高麗楽ではほとんどの曲が各種の音取(ねとり),小乱声(こらんじよう),納序(のうじよ),古弾(こたん)などの序奏をもつのに対し,唐楽では序奏をもつものは数例にすぎない。また,高麗楽の当曲は何度も反復演奏できる循環楽曲風な構造をとっており,舞の進行や登・退場の状況にしたがって三ノ鼓の指示に応じて随時伸縮自在に行われる。完結的な楽曲構成による唐楽の当曲とはたいへんに異なるユニークな点といえよう。なお,舞楽の登・退場楽には拍節的なものもあるが,その多くは非拍節的であり,それらの多くは退吹(おめりぶき)という管楽器奏者相互間の特殊な合奏法によって進められていく。
まず舞台に登ったとき,降りるときの所作〈出手(ずるて)〉〈入手(いるて)〉がある。舞人は観客(奉納舞楽の場合は拝殿)から見て,左舞は左,右舞は右の楽屋から登台し,舞の所作も左右対称的に行う。当曲の舞の手には,基本的な手足の動き,姿勢,方向などに基づき,左舞で約37,右舞で41の名目(みようもく)が現在定められている。合手(あわすて),披手(ひらくて),指手(さすて),岐呂利(ぎろり),剣印(けんいん),落居(おちいる),跪(ひざまずく),向合(むきあわせ),背合(せあわせ),入違(いれちがい)などである。左舞と右舞とでは同じ名目のものでも見た目を多少異にするものもある。
舞楽では,左舞と右舞を対にして演ずる習慣があり,これを番舞(つがいまい)と呼んでいる。原則的には似かよった種類の舞どうしを組み合わせることになっているが,現今では必ずしもこの原則は守られていない。しかし走舞の《陵王》(左)と《納曾利(なそり)》(右),童舞の《迦陵頻》(左)と《胡蝶》(右),武ノ舞の《太平楽》(左)と《狛桙(こまぼこ)》(右)などは現在でもよく踏襲されている組合せである。上演の際はテンポの緩やかな平舞(あるいは文ノ舞)の一対から始め,しだいにテンポの速い武ノ舞,走舞へと進む。奉納舞楽など正式の催しでは,平舞の左・右一組の演舞に先立ち,《振鉾(えんぶ)》という儀礼的な舞を,左・右各一人ずつの舞人によって行う。また,すべての舞楽の最後には《長慶子(ちようげし)》という管絃の曲を管方が舞楽吹のスタイルで演奏し,会をしめくくる。なお,舞楽の曲名については〈雅楽〉の項の〈現行舞楽曲・管絃曲曲名一覧〉を参照されたい。
→雅楽 →管絃 →舞楽装束 →舞楽面
執筆者:増本 伎共子
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雅楽のうち舞を伴う分野。おもに唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)をさし、管絃(かんげん)に対する。広義には神楽(かぐら)・東遊(あずまあそび)など神道系のものも含む。唐楽は左方の舞楽、高麗楽は右方の舞楽とされ、両者を交互に舞う「番舞(つがいまい)の制」がある。伴奏の管楽器は舞楽吹(ぶき)と称し、拍節感が明瞭(めいりょう)に示す奏法がとられる。
[橋本曜子]
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…祭りや神事において,芸能が行われる野外の道・空地・庭や,土間・座敷などを〈舞処(まいど)〉というが,これらの場所も舞台と考えていい。一定の様式をもった建物としての舞台の嚆矢(こうし)は,奈良・平安時代の舞楽の舞台であるといわれている。はじめは唐制を模した舞台の構造だったと推測されるが,平安時代に入ると,しだいに日本化され,方4間(約52.85m2),高さ約1mの高舞台で演じられるようになった。…
…長年全国を踏査して多くの研究成果をあげた本田安次(1906‐ )は,これを整理して次のような種目分類を行った。 (1)神楽 (a)巫女(みこ)神楽,(b)出雲流神楽,(c)伊勢流神楽,(d)獅子神楽(山伏神楽・番楽(ばんがく),太神楽(だいかぐら)),(2)田楽 (a)予祝の田遊(田植踊),(b)御田植神事(田舞・田楽躍),(3)風流(ふりゆう) (a)念仏踊(踊念仏),(b)盆踊,(c)太鼓踊,(d)羯鼓(かつこ)獅子舞,(e)小歌踊,(f)綾踊,(g)つくりもの風流,(h)仮装風流,(i)練り風流,(4)祝福芸 (a)来訪神,(b)千秋万歳(せんずまんざい),(c)語り物(幸若舞(こうわかまい)・題目立(だいもくたて)),(5)外来脈 (a)伎楽・獅子舞,(b)舞楽,(c)延年,(d)二十五菩薩来迎会,(e)鬼舞・仏舞,(f)散楽(さんがく)(猿楽),(g)能・狂言,(h)人形芝居,(i)歌舞伎(《図録日本の芸能》所収)。 以上,日本の民俗芸能を網羅・通観しての適切な分類だが,ここではこれを基本に踏まえながら,多少の整理を加えつつ歴史的な解説を行ってみる。…
※「舞楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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