日本歴史地名大系 「支倉村」の解説 支倉村はせくらむら 宮城県:柴田郡川崎町支倉村[現在地名]川崎町支倉、村田(むらた)町菅生(すごう)郡北東部の山間部に位置し、集落は名取川支流の支倉川およびその支流域にある。同じく名取川支流の碁石(ごいし)川が北辺を東流する。同川の右岸には端郷の碁石があり、仙台城下へ通じる笹谷(ささや)街道の宿であった。東は名取郡坪沼(つぼぬま)村(現仙台市)、南東は菅生村、南は足立(あしたて)村(現村田町)、北西は小野(おの)村。「伊達世臣家譜」支倉氏の項によれば、文治五年(一一八九)支倉常久は伊達家氏祖朝宗の家臣として奥州合戦で戦功をあげ、柴田郡支倉邑に二〇〇余町を賜ったと伝える。天文七年(一五三八)の段銭古帳には「むら田殿へ参候田代」のうちに「仁十五〆七百文 支倉」とみえ、村田城(現村田町)城主村田近重の所領があった。天文の乱に際し稙宗方についた大崎義宣(稙宗の子小僧丸)は、天文一二年九月に「長谷倉」へ兵を進め越年している(九月一二日「伊達稙宗書状」佐伯文書)。稙宗は同年一二月二一日、支倉郷地下人に対しては棟役を一〇年間免除することを約束し、支倉忠常に対しては沢口(さわぐち)の在家すべてにそれまで忠常が徴収していた年貢五貫文を添えて与え、領地にかかる田役(段銭)を免除すると約束している(伊達正統世次考)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by