日本歴史地名大系 「教授館跡」の解説 教授館跡こうじゆかんあと 高知県:高知市高知城下郭中追手筋教授館跡[現在地名]高知市追手筋二丁目追手筋(おうてすじ)通の北側、現土佐女子高等学校の地にあった藩校。宝暦九年(一七五九)一二月、八代藩主山内豊敷の命によって設立、翌一〇年一月儒学者宮地春樹・箕浦直彝・谷真潮・戸部良熙を教授役に任命、同一一年開校した。当初は教授場とよばれていたが、九代豊雍が教授館と命名、自筆の額を館内に掲げた。面積一千四五四坪三合四勺、建坪二三〇坪五合で学舎は瓦葺の平家建であったという(高知市史)。教授館設置について、宝暦九年一二月二二日付の御触(南路志)に<資料は省略されています>とあり、武士間での身分差をおかない学問所として開設されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by