敦康親王(読み)あつやすしんのう

朝日日本歴史人物事典 「敦康親王」の解説

敦康親王

没年寛仁2.12.17(1019.1.25)
生年:長保1.11.7(999.12.17)
平安中期の皇族一条天皇の第1皇子で母は皇后定子(関白藤原道隆の娘)。生まれたとき後見となるべき祖父道隆はすでに世になく,翌年,親王宣下を受けたが同年母とも死別,皇位への望みは断たれた。事実一条,三条両天皇の譲位に際して東宮にもなれなかった。幼時,母の妹御匣殿に養われ,のち中宮彰子(藤原道長の娘)の世話を受けた。12歳で元服し三品に叙せられ,翌寛弘8(1011)年,天皇死去の直前に一品准三宮となった。才智,心情ともにすぐれ,21歳で病死する前の数年間,まるで婿のように摂政藤原頼通と同居し親密な間柄だったという。妻は具平親王の娘。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「敦康親王」の解説

敦康親王 (あつやすしんのう)

生年月日:999年11月7日
平安時代中期の一条天皇の第1皇子
1019年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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