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藤原定子 ふじわらのていし

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原定子
ふじわらのていし

[生]貞元1(976)
[没]長保2(1000).12.16.
一条天皇の皇后。道隆の娘。永祚2 (990) 年女御となり,同年中宮。天皇の寵愛厚く,栄華をきわめた生活は,清少納言『枕草子』によって知られる。長徳2 (996) 年兄伊周 (これちか) が花山法皇に矢を射かけた事件により出家,その後も召され,長保2 (1000) 年皇后となり,中宮彰子 (→上東門院 ) とともに一帝二后の形となった。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐ていし〔ふぢはら‐〕【藤原定子】

[976~1000]一条天皇の皇后。道隆の娘。正暦元年(990)入内して女御、のち中宮。長保2年(1000)藤原彰子が中宮に立ったため皇后となり一代二后の例を開いた。

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百科事典マイペディアの解説

藤原定子【ふじわらのていし】

一条天皇の皇后。道隆(みちたか)の娘,伊周(これちか)の妹。990年一条天皇の中宮(ちゅうぐう)となる。1000年藤原彰子(しょうし)が中宮になったため定子は皇后となり,1天皇2后並置の例を開いたが,次女を産み即日死んだ。
→関連項目選子内親王

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原定子 ふじわらの-さだこ

ふじわらの-ていし(1)ふじわらの-ていし(2)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのていし【藤原定子】

976‐1000(貞元1‐長保2)
平安中期の一条天皇の皇后。内大臣藤原道隆の女,母は高階貴子。990年(正暦1)1月一条天皇の内裏に入って,女御となり,10月5日中宮となる。995年(長徳1)道隆が死に,翌年兄の伊周,隆家らが花山院の輿に矢を射かけるという事件によって失脚すると,定子も出家したが,天皇の寵は変わらず,その後に敦康親王修子内親王を生んだ。999年11月に道長の女の彰子(上東門院)が入内して女御となり,翌年2月中宮となったため,定子は皇后となった。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのていし【藤原定子】

977~1000) 一条天皇の皇后。道隆の女むすめ。990年入内。1000年藤原彰子が中宮にたったために皇后となり、一代二后の先例となった。定子に仕えた清少納言の「枕草子」にその才色が伝えられている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原定子
ふじわらのていし
(976―1000)

一条(いちじょう)天皇の皇后、藤原道隆(みちたか)の女(むすめ)。母は高階貴子(たかしなのきし)。990年(正暦1)2月女御(にょうご)、10月中宮となる。996年(長徳2)兄伊周(これちか)、隆家が花山(かざん)法皇をおどし射(う)ちする事件によりいったん出家したが、ふたたび参内、脩子(しゅうし)内親王、敦康(あつやす)親王が生まれた。1000年(長保2)道長の女彰子(しょうし)が中宮にたったため皇后となり、一天皇に二后併立の例を開いた。この年12月15日、(びし)内親王を産み、翌日亡くなった。定子皇后には清少納言が仕えており、『枕草子(まくらのそうし)』には定子の身辺について詳しく記している。だが、定子の不遇に関しては、ほとんど触れていないのが特徴である。[山中 裕]

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世界大百科事典内の藤原定子の言及

【清少納言】より

…平安中期の女流文学者。父は〈梨壺の五人〉の一人として有名な歌人清原元輔,祖父(曾祖父ともいう)深養父(ふかやぶ)も清少納言自身も中古歌仙三十六人に数えられる和歌重代の家柄。父の友人には源順,大中臣能宣ら漢詩文や和歌に達者な一流人物が多く,元輔の末娘はこれらの人々に愛され,利発で早熟な少女として育った。981年(天元4)ころ,名家橘氏の嫡男則光と結婚,翌年則長を生んだがまもなく離婚,991年(正暦2)ころ,父ほど年の違う藤原棟世(むねよ)と再婚し,小馬命婦(こまのみようぶ)を生んだが別居して,993年冬,一条帝中宮,関白藤原道隆の娘定子に仕えた。…

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