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対馬島 つしまのしま

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百科事典マイペディアの解説

対馬島【つしまのしま】

旧国名。対州とも。西海道に属する。現在の長崎県対馬。《魏志倭人伝》に〈対馬国〉とみえ,古くから朝鮮航路の要地。国司の代りに島司を置き,防人(さきもり)を配備。《延喜式》に下国,2郡。
→関連項目九州地方朝鮮式山城対馬長崎[県]

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世界大百科事典 第2版の解説

つしまのしま【対馬島】

旧国名。対州。長崎県北部の島。
【古代】
 西海道に属する下国(《延喜式》)。《古事記》には〈津島〉と見え,いわゆる大八洲の一つとされた。九州と朝鮮半島の中間に位置し,古くから壱岐島とともに大陸との交通の要衝として重視された。《魏志倭人伝》には,1000余戸あるが,地勢が険しくて良田がないため南北に交易して米を求めたとある。663年(天智2)の朝鮮半島白村江での敗戦後は国防の最前線となり,翌年に防人(さきもり),烽(とぶひ)が配備され,667年には金田(かなだ)城が築かれたが,のち1019年(寛仁3)の刀伊(とい)の入寇では大被害を受けた。

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世界大百科事典内の対馬島の言及

【銀】より

…銀本位制を採用しつづけた東洋諸国も銀価下落の影響を受け,なかでも中国から銀が激しくアメリカに流出したのが問題化し,ここに中国もまた1933年ついに両を廃して元を採用し,35年元を金に結びつけ,イギリスの借款を得て金為替本位制に移ることを余儀なくされるに至った。貨幣【新庄 博】
【日本の銀の歴史】
 《日本書紀》674年(天武3)対馬島貢銀の記載が文献上の産銀の初見である。対馬の銀坑は長崎県下県郡厳原町樫根の地といわれるが,ここが古代から中世までほとんど唯一の銀山である。…

【宗氏】より

…鎌倉時代から明治維新まで対馬などを支配した北九州の豪族,大名。出自については平知盛後胤説,対馬との関係では1245年(寛元3)宗重尚の阿比留(あびる)氏討伐説が流布していたが,現在は両説とも後世の捏造(ねつぞう)で,出自は大宰府府官惟宗(これむね)氏の武士化したものとされる。対馬との関係で確実・最古の人物は,1274年(文永11)のモンゴル襲来時に対馬で戦死した対馬国地頭代の宗資国である。鎌倉時代は大宰少弐氏が対馬国守護・地頭を兼ね,宗氏は地頭代として支配に関係し,南北朝期に実質的な支配者となり,同末期に守護に昇格した。…

【対馬】より

…長崎県に属し,上県(かみあがた)郡の3町(上対馬,上県,峰)と下県郡の3町(豊玉,美津島(みつしま),厳原(いづはら))に分かれる。かつての対馬島(つしまのしま)にあたり,九州とは対馬海峡東水道,朝鮮半島とは同西水道によって隔てられ,大陸と日本との交通の要衝としての役割を果たしてきた。長崎県の対馬支庁が厳原町にあるが,日常生活の面ではむしろ福岡県との関係が強い。…

※「対馬島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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