敷波村(読み)しきなみむら

日本歴史地名大系 「敷波村」の解説

敷波村
しきなみむら

[現在地名]志雄町敷波

荻島おぎのしま村の南にあり、集落中央部を内浦街道が通る。村名はかつての宿駅宿しゆく(現押水町)家並が続いていたため宿並と称し、のち敷波に転訛したとする(三州志)。天正一二年(一五八四)一〇月一一日、針山はりやま村・宿村とともに敷波村二七町二反余(分米八一六俵余)が前田利家より奥村永福・千秋範昌に与えられた(「知行所付状」千秋家文書)。慶長一一年(一六〇六)南半部が土方雄久領(のち幕府領)敷浪しきなみ村となり、加賀藩領を「ナミ」、土方領を「ナミ」と区別してよぶようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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