明円寺(読み)みようえんじ

日本歴史地名大系 「明円寺」の解説

明円寺
みようえんじ

[現在地名]熊本市水道町

大甲たいこう橋から水道すいどう町交差点に至る大甲橋通の北裏通りに面する。岩男山と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。現在は旧比丘尼びくに町に面するが、かつては比丘尼町北側の明円寺町に面していた。第二次世界大戦後の区画整理により明円寺町の通りが消滅し、旧比丘尼町を明円寺町と改称した。現在の寺地は元禄一一年(一六九八)手取大工てとりだいく町から移ったものである。「国誌」によると、元和元年(一六一五)豊前小倉において了佐が開基。細川忠利入国の時肥後に来て建立、三畝二五歩の年貢地という。

明円寺
みようえんじ

[現在地名]貝塚市清児

浄土真宗本願寺派、山号願月山、本尊阿弥陀如来。寺伝によると開基は清児せちご村の長の藤沢治郎衛門康時。康時は出家して知隆と称し、親鸞の弟子源海に帰依し、文永年間(一二六四―七五)当地で阿弥陀如来を本尊として布教の拠点としたという。したがって当初は興正寺門徒であったと考えられるが、文明一三年(一四八一)興正寺蓮教が本願寺八世蓮如に帰依したので(反故裏書)、当寺も蓮如に帰したと伝え、その時蓮如より六字名号を下付されたという。

明円寺
みようえんじ

[現在地名]岩手町川口 中道

JR岩手川口駅の東に位置し、柏樹山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。開基は寛永一三年(一六三六)田村源之尉正家、開山源勝げんしよう(現盛岡市)一〇世天岩雲暁と伝える。田村正家は川口かわぐち城主で正保三年(一六四六)没。女は八戸藩主(初代)直房室。子秀寛は八戸藩家老を勤めた。当寺の寛永二一年三月吉日の鐘銘に「奥州南部上岩手河口村 柏樹山明円寺二世岩翁建立是 旦那藤原正家 田村源之尉、大工藤原家次 鈴木七兵衛」などとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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