平安後期から鎌倉初期にかけて活躍した円派(えんぱ)の仏師(ぶっし)。「めいえん」とも読む。忠円の子で、1166年(仁安1)故関白藤原基実(もとざね)法事の阿弥陀(あみだ)三尊をつくったのをはじめ、主として宮廷、藤原氏関係の造仏に携わり、早くから僧の高位である法印位に上り、院派の院尊と並んで権勢を振るった。治承(じしょう)の乱(1180)後の興福寺復興にあたっては金堂大仏師(だいぶっし)となって完成させたが、このとき院尊や慶派(けいは)の成朝(せいちょう)と競り合った話は有名である。代表作には1176年(安元2)に七条殿弘御所でつくった現大覚寺蔵の五大明王像五躯(く)があるが、伝統的な古様を踏まえ、忿怒(ふんぬ)相ながらも優雅な姿をもった巧みな円熟の境地を示す作品で、時代の要求ともいうべき写実性も加味されており、注目される。1179年(治承3)の晩秋に三条南京極(きょうごく)東の留守宅に強盗が入り妻と弟子が殺されているが、その家が三条にあったことは、のちに明円の系統が三条仏所とよばれたことと関連すると思われ、また弟子がその家にいたことは当時の仏師の生活を知る史料として興味深い。明円のあと円派は人を得ず、慶派に圧倒されていった。
[佐藤昭夫]
(浅井和春)
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平安後期から鎌倉初期の円派仏師。1174年(承安4)蓮華心院の造仏賞として法眼になる。院派仏師の院尊とともに南都の復興に活躍し興福寺金堂の本尊をつくる。現存する作例には大覚寺の五大明王像(1177)がある。作風は洗練された彫技と柔らかな肢体表現が藤原様を守ろうとする円派の傾向を色濃く見せている。
執筆者:清水 真澄
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…名前に〈円〉をつけるのが普通である。平安時代には院派とともに皇家や貴族の造仏に当たることが多く,ことに12世紀前半の彫刻界は円勢一門の長円,賢円らを中心に展開した観があり,その後も明円(みようえん)など一流の仏師を輩出した。ことに長円は清水寺別当という高位を得たこともあった。…
※「明円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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