文挟宿(読み)ふばさみしゆく

日本歴史地名大系 「文挟宿」の解説

文挟宿
ふばさみしゆく

[現在地名]今市市文挟町

西をなめ川が南流し、北は板橋いたばし村、東は手岡ちようか村。壬生みぶ通の宿で、西方街道沿いに宿の屋並が続く。都賀つが郡に属する。日光山往古社領六十六郷の一つに文挟郷があり、随仙坊領(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。慶安郷帳に文挟村とみえ、武蔵岩槻藩領、田一八石余・畑二一石余。承応二年(一六五三)日光領となる。元和三年(一六一七)壬生通整備のとき、宿家並が整えられたと考えられる。宿村大概帳によれば、鹿沼宿へ二里八町、板橋宿へは三三町。往還長さ四町五六間余・宿内町並南北三町一四間余、地子免許は四千一四〇坪である。家数三四、うち本陣一・脇本陣二・旅籠屋一四(大五・中五・小四)・問屋場一、人数一五六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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