鹿沼宿
かぬましゆく
[現在地名]鹿沼市戸張町・上材木町・
天神町・久保町・銀座・今宮町・
仲町・麻苧町・石橋町・
下材木町・
寺町・蓬莱町・鳥居跡町・上田町・中田町・
下横町・下田町
壬生通の宿。奈佐原宿と文挟宿(現今市市)との間に位置。奈佐原宿へ一里一〇町、文挟宿へ二里八町。宿割は元和二年(一六一六)に行われたという(鹿沼市史)。田町と内町の二つの町筋が南北に並列し、内町通は南北一〇町一八間余、田町通は六町余。天保一四年(一八四三)の宿内人別男一千四二七・女一千四一七、宿内家数七五一、うち本陣(石橋町)一・脇本陣(同町)一・旅籠屋二一。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の鹿沼宿の言及
【鹿沼[市]】より
…[鹿沼土]として有名な園芸用の軽石土やサツキの本場として知られる。【村上 雅康】
[鹿沼宿]
下野国の壬生通り(日光例幣使街道)の宿場。中世の押原郷の中心で,鹿沼氏を抑えた壬生氏が1532年(天文1)築城したが,90年(天正18)没落した。…
※「鹿沼宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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