今市宿
いまいちしゆく
肥後街道の宿駅で、今市町とよばれた。文禄二年(一五九三)直入郡代官熊谷直盛が、大分郡矢野原村から石合村を通っていた肥後街道の道筋を変更、今市村を経て梨原村(現朝地町)に向かうようにしたという(垣本家文書など)。中川氏が竹田に入部すると野津原村以西の肥後街道を参勤交代路の一部として利用するようになる。当時は「小家三軒」という有様であったが、慶長年間(一五九六―一六一五)庄屋伝兵衛の祖先が開発したと伝える(地方温故集)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の今市宿の言及
【今市[市]】より
…また県内有数の木材集散地で,家具,線香などの林産関係の工業や食品加工業などが盛んであり,近年は,電気機械,化学などの工業も進出している。【桜井 明久】
[今市宿]
下野国の宿場町。日光道中,[日光例幣使街道]([壬生(みぶ)通り]),会津西街道が合し,日光の入口にあたる。…
※「今市宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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