日本歴史地名大系 「文挟村」の解説 文挟村ふばさみむら 栃木県:塩谷郡高根沢町文挟村[現在地名]高根沢町文挟・伏久(ふすく)土室(つちむろ)村の北、井沼(いぬま)川流域に位置し、中央を市の堀(いちのほり)用水が南流する。今宮祭祀録(西導寺蔵)に文挟郷とあり、同郷は今宮(いまみや)神社(現氏家町)祭礼頭役を応永一二年(一四〇五)に勤めるものであったが掛合に敗れ、翌年は懇望したが給人死去で他郷に回されている。享徳元年(一四五二)には同郷の高根沢宗右衛門尉が勤めている。天正(一五七三―九二)末年と推定される五月三日の増田長盛書状(喜連川文書)で、喜連川国朝領分とされた岡本讃岐との出入地「ふはさミ村」四〇石余は当地と思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報