20世紀日本人名事典 「斉藤鉄郎」の解説 斉藤 鉄郎サイトウ テツロウ 昭和期の労働運動家 生年明治40(1907)年1月29日 没年昭和55(1980)年10月21日 出生地宮城県 学歴〔年〕宮城県立工(旧制)卒 経歴国鉄大宮工機部に入り、昭和20年終戦時、察監。末弘厳太郎とスウェーデン体操を通じて親しく交際したことから、同年国鉄内の労働組合結成に参画。46年国鉄総連合(後の国労)初代委員長を務め、47年2・1スト挫折後、国鉄反共連盟(のちの民同)結成の中心として活躍。50年国労委員長、51年平和4原則をめぐって民同は分裂。右派を守ったが、新潟大会で左派に破れ引退した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斉藤鉄郎」の解説 斉藤鉄郎 さいとう-てつろう 1907-1980 昭和時代後期の労働運動家。明治40年1月29日生まれ。国鉄大宮工機部にはいる。戦後,国鉄の労組結成にくわわり,昭和21年国鉄労働組合総連合(のちの国労)の初代委員長。翌年国鉄反共連盟結成を主導。25年国労委員長に選出されたが,のち左派に敗れた。昭和55年10月21日死去。73歳。宮城県出身。宮城工業卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by