日本歴史地名大系 「斎川村」の解説 斎川村さいかわむら 宮城県:白石市斎川村[現在地名]白石市斎川東は三沢(みさわ)村、西は鉢森(はちもり)山・西(にし)山を結ぶ分水嶺で小原(おばら)村、南は平(たいら)村、北は中目(なかのめ)村に接する。東西に丘陵地があり、南北に延びる平地を奥州街道、その東側を斎川が北流する。村は中央から南部地域を上斎川、北部を中斎川、東辺を南北に細長く鹿子(かのこ)の三地区に分れる。地名の由来について、「安永風土記」は坂上田村麻呂が当村の鬼形の者を退治するにあたり、ここの川で潔斎したことによるとの伝説を載せる。また中目との境の地字塞(さい)ノ上(うえ)には巨大な陽物の道祖神があるが、村名は境の意味とも考えられる。佐也川・佐韋川とも記す。「伊達世臣家譜」の富塚氏家譜によると、伊達家八代宗遠の時、伊達氏に対抗して亘理行胤が刈田(かつた)郡で戦ったとき、富塚周隆は「斎川邑」で戦死したとあるので、当地方はこの頃伊達氏の支配下に入っていなかったのであろう。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「仁十〆百文 中さい川」「くハをり殿分十五〆文 さい川」とある。「くハをり殿」は伊達(だて)郡桑折(こおり)(現福島県伊達郡桑折町)居住の伊勢景長で、「さい川」は近世上斎川とよばれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by