日本歴史地名大系 「白石市」の解説 白石市しろいしし 面積:二八五・九四平方キロ県の最南部に位置する。西は不忘(ふぼう)山(一七〇五・三メートル)から硯石(すずりいし)・花房(はなぶさ)山・材木岩(ざいもくいわ)・弥太郎(やたろう)山・万歳楽(まんざいらく)山(八九八・三メートル)をつなぐ北から南の線で刈田(かつた)郡七(しち)ヶ宿(しゆく)町・福島市と接する。東は柴田郡大河原(おおがわら)町の大高山(おおたかやま)神社から南の堂(どう)山(三五〇・三メートル)を結ぶ線で角田(かくだ)市・伊具(いぐ)郡丸森(まるもり)町と境し、北は馬(ま)ノ神(かみ)岳(一五八五メートル)と青麻(あおそ)山から大高山神社をつなぐ西から東の線で刈田郡蔵王(ざおう)町と大河原町に接する。南は小坂(こさか)峠(四四一メートル)・雨塚(あまつか)山(七〇八・九メートル)の南側を通る西から東を結ぶ線で福島県伊達(だて)郡国見(くにみ)町・梁川(やながわ)町と接する。全般的に山地が多く耕地面積は全面積の一一・七パーセントほどで、この耕地のうち約五七パーセントが山畑などを含む畑地で水田面積は少ない。平坦な耕地は市内のほぼ東より中央部を占める白石川と斎(さい)川の流域に集中する。全体として西部は奥羽山系の険阻な山地とその山麓高原帯、東部は古い地層よりなる阿武隈山系の丘陵状山地で、これらに挟まれて小盆地が形成される。したがって農耕地が乏しいばかりでなく、山地も東部を除いて利用価値が少ない。市西部の奥羽山脈に噴出した蔵王火山群のうち、不忘山は南蔵王の主峰である。この蔵王連峰から流れ出る水を集めた白石川は市の西部を東北流し、小原(おばら)付近で深い峡谷を作り、蔵本(くらもと)地区で直角状に東に折れ氾濫原を形成し、また東北に向かって柴田郡内に入る。この間、西からの大太郎(だいたろう)川・児捨(こすて)川、南からの斎川・高田(たかだ)川などの小支流を合せる。これらの河川はいずれも水量が少なく、盆地内水田の灌漑用水に利用されるのみで舟運などには適さない。白石は「しろいし」と訓読するがその地名起源は明らかでない。市街地の調練場(ちようれんば)に神石(しろいし)とよばれる白い大石があり、伝承では地下を通って泉市根白石(ねのしろいし)につながるといわれ、白石の名はこの石によるものというが、地名起源のため後世につくられたものであろう。「伊達世臣家譜」によれば一門登米伊達氏の先祖白石秀長は居住地の名によって白石姓を名乗ったとある。同家譜によれば秀長は源頼朝に従って奥州合戦の際、阿津賀志(あつかし)山(現厚樫山)の戦に臨んだというから、これが事実とすれば鎌倉時代に白石の名があったことになる。しかし「吾妻鏡」以下の文献にまったく白石のことはみえず、室町末期に至るまでも同様である。天文七年(一五三八)の段銭古帳の刈田の項に「一 十九〆仁百五十文 白いし」とあるのが初見であろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白石市」の意味・わかりやすい解説 白石〔市〕しろいし 宮城県南部,阿武隈川の支流白石川の白石盆地に位置する市。1954年,白石町と大平村,大鷹沢村,福岡村,白川村,越河村,斎川村の 6村が合体して市制。1957年小原村を編入。仙台藩家老片倉氏の旧城下町。中心市街地の白石は近隣農村の商業,行政,教育の中心地。製粉,製麺,和紙製造,こけしなどの小工場が立地する。南部の越河(こすごう),斎川はかつて奥州街道の宿駅。西部の上戸沢,下戸沢は七ヶ宿街道(しちかしゅくかいどう)の宿場で,古い景観がよく残る。市内に小原温泉,鎌先温泉などの温泉や,みやぎ蔵王白石スキー場がある。北西部は蔵王国定公園に属し,中・西部は蔵王高原県立自然公園に属する。七ヶ宿街道沿いの小原のコツブガヤ,ヨコグラノキ,ヒダリマキガヤなどは国指定天然記念物で北限帯。小原温泉の南西約 5kmの白石川上流左岸にある材木岩,市域東部の白川犬卒都婆(しらかわいぬそとば)にある球状閃緑岩は,いずれも国の天然記念物に指定。国道4号線,113号線,457号線,東北自動車道,JR東北本線,東北新幹線が集中する。面積 286.48km2。人口 3万2758(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by