新ライン新聞(読み)しんらいんしんぶん(その他表記)Neue Rheinische Zeitung ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新ライン新聞」の意味・わかりやすい解説

新ライン新聞
しんらいんしんぶん
Neue Rheinische Zeitung ドイツ語

ドイツの三月革命(1848)期に発行された日刊紙。「民主主義の機関紙」という副題をもつ。革命勃発(ぼっぱつ)とともに亡命先から帰国したマルクスが滞在地ケルンにおいて編集し、1848年6月1日に発刊。民主主義陣営最左翼の立場からドイツにおける単一不可分の民主共和国の樹立を主張し、封建的な反革命勢力やこれと妥協的なブルジョアジーを厳しく弾劾した。ドイツ内外に通信員を派遣、ヨーロッパ全域にわたる48年の革命の経過を報道するとともに、マルクス、エンゲルス執筆による大衆啓発的な社説を多く掲載した。マルクスの国外追放と編集部への弾圧のため、49年5月19日付け、301号の赤刷り終刊号を最後にして廃刊された。

末川 清]

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旺文社世界史事典 三訂版 「新ライン新聞」の解説

新ライン新聞
しんラインしんぶん
Neue Rheinische Zeitung

ドイツの三月革命中,マルクス・エンゲルスらが発行した日刊紙
ライン新聞が廃刊になったのち,1848年6月1日ケルンで創刊。単一共和国の建設,民主主義の実現を訴えたが,翌年5月19日に発禁となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新ライン新聞の言及

【マルクス】より

…その当時,ドイツ人労働者(職人)の共産主義組織〈義人同盟〉に分派闘争が発生,旧来のカリスマ的指導者W.ワイトリングを追い落とした新指導部のK.シャッパーやJ.モルたちと連携して〈共産主義者同盟〉に改組(1847),この組織の綱領として《共産党宣言》(1848)を執筆した。48年,ドイツ三月革命が勃発すると帰国,ケルンを拠点にして活躍し,《新ライン新聞》を刊行する。しかし,革命運動の敗北後,亡命地ロンドンで再結集した共産主義者同盟中央指導部が50年秋に分裂,マルクス,エンゲルスたちは中央委員会でこそ多数を制したものの実質的には少数派に転落,やがて〈ケルン共産党裁判〉で組織が壊滅した。…

【48年革命】より

…また議会外の運動を結集しようという民主主義者の試み(6月14~16日のフランクフルトにおける第1回民主主義者会議)も一部の地域を除いて必ずしも成功しなかった。マルクス,エンゲルスらの《新ライン新聞》による活動はこうした民主主義者の運動と労働者の運動を結びつける方向を模索していた。
[民族運動]
 民族運動に目を向けてみよう。…

※「新ライン新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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