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民主主義 みんしゅしゅぎ democracy

翻訳|democracy

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

民主主義
みんしゅしゅぎ
democracy

政治一般,政治原理,政治運動政治思想などの形態の一つ。語源は demos (人民) と kratia (権力) とを結びつけたギリシア語の demokratiaで人民が権力を握り,みずからそれを行使する政治を意味した。

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デジタル大辞泉の解説

みんしゅ‐しゅぎ【民主主義】

人民が権力を所有し行使する政治形態。古代ギリシャに始まり、17、18世紀の市民革命を経て成立した近代国家の主要な政治原理および政治形態となった。近代民主主義においては、国民主権基本的人権法の支配・権力の分立などが重要とされる。現代では政治形態だけでなく、広く一般に、人間の自由と平等を尊重する立場をいう。デモクラシー

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百科事典マイペディアの解説

民主主義【みんしゅしゅぎ】

デモクラシーdemocracyの訳。demos(民衆)のkratia(支配)というギリシア語が語源。支配の権威が民衆に由来し,その意味で支配者と被支配者が同一であるという主義,あるいはその原則にたつ政治体制(民主制)。
→関連項目国民精神作興詔書福祉国家民主制

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世界大百科事典 第2版の解説

みんしゅしゅぎ【民主主義 democracy】

民主主義という言葉は,現代では,あらゆる政治的行動や意図の正当化を訴える理念として,またそれらを評価する基準として,政治体制や信条の差異をこえてほとんど普遍的通用性を獲得している。しかし,その反面で,今日,民主主義の具体的内容として何が確実な合意であるかについては,必ずしも明らかではない。民主主義のこうした言葉としての普遍化と意味の多様化は,現代世界,とりわけ第1次大戦以後のことである。 民主主義,すなわちデモクラシーとは,〈人民の権力〉を意味する古代ギリシア語のdēmokratiaを語源とし,それがラテン語を経由してヨーロッパ各国の近代語の中に受け継がれたものである。

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大辞林 第三版の解説

みんしゅしゅぎ【民主主義】

人民が権力を所有し行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態。ギリシャ都市国家に発し、近代市民革命により一般化した。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をも示す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

民主主義
みんしゅしゅぎ
democracy

民主主義を表す英語のデモクラシーという語は、もともとはギリシア語のdemos(人民)とkratia(権力)という二つの語が結合したdemocratiaに由来する。したがって、民主主義のもっとも基本的な内容としては、人民多数の意志が政治を決定することをよしとする思想や、それを保障する政治制度あるいは政治運営の方式、と要約できよう。この意味では、第二次世界大戦後の現代国家のほとんどは、成年男女に普通・平等選挙権を認めているから、資本主義国家であれ社会主義国家であれ、それらの国々を民主主義国家とよぶことができよう。しかし、ひと口に民主主義といっても、その内容は、単に普通選挙権や国民の政治参加の保障にとどまるものではなく、人権(自由・平等)保障の質の高さや内容の違いあるいは民主的政治制度の考え方の差異などをめぐって多種多様に分かれ、しかも、そうした思想や政治運営の方式は、歴史の進展、政治・経済・社会の変化に伴って、しだいにその内容を広げ、また豊かにしてきた面もある。そこで、ここでは、民主主義の思想・制度の発展を中心にして民主主義とはなにかという問題を考えてみよう。[田中 浩]

市民革命と民主主義

民主主義の原型は、古代ギリシアの都市国家の政治に求められる。そこでは、自由民による政治参加の方式が広範に認められていた。しかし、民主主義的な思想・制度が政治の世界において決定的に重要な地位を占めるようになるのは、やはり、市民階級が専制的な絶対君主の政治を打倒して近代国家を形成した17、18世紀の市民革命以後のことであるといえよう。この時期には国民主権主義、基本的人権の尊重、法の支配、民主的政治制度の確立などの民主主義的思想・制度の原型が形成された。そして、このような民主主義の考え方を体系化したのがホッブズ、ハリントン、ロック、ルソーなどであり、またそのような考え方は、イギリス、アメリカ、フランスなどの各種の憲法や宣言に結実されている。[田中 浩]
民主主義思想の形成
国民主権主義や基本的人権思想の尊重に関して近代的な民主主義理論を最初に提起したのは、ホッブズである。彼は、ピューリタン革命期の血で血を洗う悲惨な状況を経験しつつ書いた主著『リバイアサン』(1651)のなかで、人間にとっての最高の価値は生きる権利(自然権)、生命の尊重(自己保存)であると述べ、争乱のない平和な政治社会を確立する必要性と方法を人々に提案している。この自然権こそ、今日の基本的人権思想の原型である。ホッブズは、人間が国家や政府を知らない無法状態(自然状態)にあるときには、当然に各人は身の安全のために自然権を行使することになり、そうなると「万人の万人に対する闘争状態」が生じやすく、かえって自分の身の安全が危うくなると述べる。そこでホッブズは、人間は自分で自分の生命を守ることをやめ、つまり自然権を放棄する――これは明治維新後の廃刀令にもみられるように各人が武器を捨て丸腰になることをも意味する――という契約を相互に結んで「共通の権力(コモン・パワー)」――これが最高権力、主権である――を形成することに参加せよ、と人々に呼びかける。そして、このような行為をするように人間に仕向けるのが、人々の「生きる」という最終的欲求としての理性の戒律=自然法の教えである、とホッブズはいう。したがってホッブズのいう自然法の内容とは、自然権の確保つまり自己保存に役だつ諸条件ということになる。そして、そうした諸条件は、人権保障の規定として今日の各国憲法のなかに多数盛り込まれているのである。
 さて「共通の権力」=主権を設けたとき国家(コモンウェルス)=政治社会が形成されたことになるが、この共同社会を運営するためには、共同社会の利益を代表して行動する何者かが必要で、この代表人格をホッブズは主権者とよぶ。そしてホッブズによれば、主権者の制定する法律に従ってすべての人間が行動すればそこに平和な社会が確立され、安全で快適な社会が保障されるというわけである。以上に述べたホッブズの契約あるいは同意に基づく政治権力や国家の設立という思想が今日の国民主権主義のモデルとなったことはいうまでもない。また代表人格という代表概念は、後の議会政治への道を展望する法・政治思想の原型といえるだろう。さらには、彼が、人々は主権者=代表人格のつくる自然権・自然法に基づく法律に従って行動せよと述べていることは、結局は近代的な意味での「法の支配」観念を基礎づけたものといえる。ここに、ホッブズによって初めて、国家権力の作用は国民の生命の安全と利益の確保を目的にすべきであるということが理論化されたのである。
 民主的な政治制度の確立を民主主義の基本条件として主張した人は、ホッブズの同時代人ハリントンである。彼は主著『オシアナ』(1656)において、専制化しやすい王政を否定し、国民的規模(といっても成年男子の普通選挙権のことであるが)で選出される新型の立法部(彼はホッブズと同じく当時のイギリス議会は特殊利益を代表しているとみていた)の確立を提案し、政治の目的を「法の支配」の実現に置いている。また彼は、今後のイギリスの政治形態はデモクラシーでなければならないと述べているが、このことは、アリストテレス以来の、モナーキー、アリストクラシー、デモクラシーという政治の三形態を並列する伝統的なやり方を超えて、デモクラシーが三形態のうちで最高の価値を有するものであることを明確化した点で注目に値する。ちなみに、デモクラシーという語が英語になったのは16世紀の中ごろといわれ、その場合には、それはアテネなどで行われていた「人民による政治」という意味にすぎず、別にいいとか悪いとかいう意味はなかったのである。ハリントンによって、「人の支配」ではない「法の支配」が民主主義の主要内容の一つに加えられたのである。
 続いて、今日では民主主義といえば議会政治といわれるくらいにまでなった、いわゆる議会制民主主義の思想を理論化したのが名誉革命期のロックである。彼は主著『政治二論』(1690)のなかで、イギリスにおける最高権力は国王・上院・下院からなる立法部=議会にあると述べ、議会と行政部(国王)との関係については議会が優位するとして、今日の議会制民主主義と議院内閣制の原型をつくった。彼が民主主義の父とよばれるのはこの理由による。またロックは、人々が契約を結んで国家や政府を設立したのは、各人の所有権を保護するためであり、もしも立法部や行政部などの国家機関が所有権を侵害するような重要な事態になれば、それらに対して革命を起こしてもよい、と述べているが、これは、当時、経済的地位が上昇しつつあった市民階級の立場を擁護したものといえる。しかし同時に、そのような主張は、一般国民の安全を図るために国家は国民の財産権を保障すべしという現代国家においてもっとも重要な政治思想原理を述べたことになる。
 最後に、人民主権論を主張し、民主主義の内容をさらに大きく前進させたのが、フランス革命前夜のルソーであった。彼は、『人間不平等起源論』(1755)において、人間の悲惨と不平等の原因は私有財産制度にあるとし、有産階級が自分たちの財産を守り、また蓄財を図るために専制政治と少数者による多数者(生産者)支配の生産様式を利用していることを痛烈に批判している。続いて、ルソーは、主著『社会契約論』(1762)のなかで、人間が社会状態(政治社会)においても自然状態で有していたと同じ自由を保障できるためには、相互に契約を結んで「一般意志」(ホッブズの共通権力、主権にあたるもの)を形成し、この個人の利益と公共の利益を同時に実現しようとする「一般意志」に基づいて政治社会を運営することを主張している。ところで、「一般意志」による政治とは、当時、少数の有産者(成年男子の7分の1)にのみ選挙権を認め、それを基盤にして構成されていたイギリス型の議会政治をルソーが批判していたことからもわかるように、中・小生産者にも選挙権を認めよという人民主権型の政治を目ざしていたものと考えてよいであろう。[田中 浩]
民主的憲法と宣言
ところで、これまで述べてきたような民主主義思想は、実は市民革命前から長い年月をかけてしだいに発展してきたものであって、とくにイギリスでは、「マグナ・カルタ」(1215)、「権利請願」(1628)などの憲法において、「人身(身体)の自由」の保障、代表機関や議会の尊重といった形で早くから主張されてきたものである。そして名誉革命後の「権利章典」(1689)のなかで、人権尊重と議会制民主主義の政治方式がようやく認められるようになったのである。続いて、このような考え方は、18世紀70年代のアメリカの「独立宣言」や各州の権利章典・各州憲法のなかで、さらにはフランスの「人権宣言」(1789)において、自然権・自然法の名の下に、自由・生命・財産の保障という形で確認された。このようにみてくると、17、18世紀に至るまでに民主主義の内容は、「人権宣言」第16条の規定にもあるように、一つは人権(自由・生命・財産)の保障、一つは民主的な政治制度の確立を2本の柱としていたことがわかる。今日の各国憲法が人権保障規定と統治機構規定を主たる内容としているのは以上のような理由に基づくものである。[田中 浩]

民主主義の発展

市民革命が民主主義の思想形成や制度確立の発展に大きな影響を与えたことは間違いない。しかし、その後の民主主義発展の道はかならずしも平坦(へいたん)なものとはいえなかった。たとえば、フランス革命における民衆の急進化に恐怖感を抱いたイギリス支配層は、フランス革命の思想的父といわれるルソーの社会契約説や自然権思想の影響がイギリス民衆に波及することを防止しようとしている。そのようなものとしては、イギリスにおける最初の政治的保守主義(新しい階級の台頭を抑えようとする支配層側の政治思想)者といわれるE・バークの『フランス革命の省察』(1790)が有名である。ここで彼は、人間の歴史は神の計画に基づくものであり、それは民族の伝統・歴史のなかに具現化されており、したがって社会契約説のように、人間が自由に国家や政府を設立したり破壊できるものではない、と述べている。かつてイギリスの市民階級(ブルジョアジー)は自然権・自然法の旗を高く掲げて絶対君主の暴政を打倒したが、いまや支配層の一角に足場を固めた上層ブルジョアジーは、小市民層や労働者階級の台頭に恐怖感を抱き保守化したのである。市民革命期にも、革命主流派であったクロムウェル派は下層民に選挙権を認めず、18世紀70年代でもイギリスは依然として制限選挙制を維持し続けていたし、アメリカでは黒人に選挙権を認めず、フランスでも財産資格を設けて多数の市民を選挙権賦与から排除したのであった。そこで民主主義を前進させるためには、まずは政治的権利の獲得、参政権の拡大が緊急の課題となったのである。
 イギリスでは、こうした運動は産業革命期に活発化した。ペイン、プリーストリー、プライスらは、選挙権は自然権に基づくものであるとして、いまでは上層ブルジョアジーが地上に投げ捨ててしまった自然権の旗を拾い上げて選挙権の拡大を唱えた。しかし、支配層は、参政権の拡大は財産の平等化要求にまでつながるものとして警戒し、選挙権は「財産と教養ある人々」にのみ与えられる特権であると主張し反対した。にもかかわらず、選挙権の拡大は時代の要求ともいうべきものになりつつあった。このときイギリスではベンサムが登場し、普通選挙制の実現に方向性を与えた。ベンサムは、支配層がアレルギーをおこす危険な用語である自然権(ナチュラル・ライト)ということばを注意深く避けて、功利(ユーティリティ)という語を用いながら、この語の意味する「最大多数の最大幸福」を達成するためには、よき法律の制定が必要であること、よき法律を制定するにはよき議会が必要であること、そのためには国民多数が政治に参加できる普通選挙制にすべきことを唱え、ベンサム主義は、中・小生産者層から労働者階級に至るまでしだいに広範な支持を受けるようになった。近代イギリスにおける最初の大労働運動である「チャーティスト運動」(1837~48)の「憲章」は、ベンサム主義の影響を強く受けているといわれるが、当然のことながら、そのなかには普通選挙制の実施が掲げられている。ともあれ、市民革命以来の長年にわたる民主主義の伝統をもつイギリスでは、ペインやベンサムの努力もあって1832年に第一次選挙法改正が実現するが、それはなお普通選挙制とはほど遠いものであった。同じころ、『アメリカにおけるデモクラシー』2巻(1835、40)を書いたフランスのトックビルが、アメリカの民主政治を考察して、いまや平等化の波を押しとどめることはできないと述べつつも、平等の台頭が個人自由を侵害するのではないかという危惧(きぐ)の念を早くも表明しているのは、19世紀後半以降、自由と平等の関係をどう扱うかという民主主義の根本問題を示唆しているものとして興味深い。なおフランスでは、民主主義のさらなる前進は、1870年の第三共和政の成立まで待たなければならなかった。
 他方、フランス革命の衝撃(インパクト)を受けたドイツでも近代国家の形成を目ざす運動が始まった。当時のドイツは300以上の領邦国家に分かれ、イギリス、フランスのような統一国家の形成はかならずしも容易なことではなかった。結局ドイツでは、プロシアの近代化を先頭にしてドイツ帝国の統一を図る方向が模索された。しかしプロシアでは市民階級の力がきわめて弱かったので、「上からの近代化」の道をとらざるをえず、このため個人自由の尊重や民主的な政治制度の確立によって国民的統一を図り、国力を増大させるということよりも、君権中心の官僚指導型の近代化という方向をとることになった。こうしてドイツでは、「国家の個人に対する優位」という思想が国民のレベルにまで広く受容されたが、このような政治思想を理論化したのがヘーゲルであった。そして、近代国家の形成期において、自然権や自然法思想の重要性が十分に国民の間に浸透・定着せず、民主的な政治制度が確立されなかったことは、ドイツが20世紀に入って独裁的・非民主的なナチズムを生み出す要因となったことは指摘するまでもないであろう。[田中 浩]

民主主義の転換と社会主義・ファシズム

19世紀中葉以降、民主主義の課題は、いよいよ経済的不平等の是正、社会的弱者の救済という方向に、その重点を移していった。この時期になると、イギリスをはじめとする2、3の先進資本主義国家においては貧困・失業などの社会・労働問題が顕在化した。それまで各国は、経済の分野については、個人の自由な経済活動に任せ(自由放任主義(レッセ・フェール))、政府の役割は、対内的には、最小限の治安維持と公共政策の実施にとどめ、対外的には外敵からの侵略を防ぐことをもってよしとする「夜警国家」の立場をとってきた。しかし、社会・労働問題が顕在化してきたこの時期になると、公共の福祉のためには、個人の自由をある程度制限してもやむをえないという考え方に転換せざるをえなくなった。たとえば、従来、雇用・労働条件については、「契約自由の原則」により労使間の自由な契約に任されていたが、これでは、恐慌その他の経済的危機に際して労働者がなんの保障もなく路上に放置される危険性が高まったため、労働者に「団結の自由」という権利を与え、労働者自らがその地位の保障を確保し、劣悪な労働条件を改善することができるようにすべきであるという新しい労働基本権的な考え方が登場してきた。J・S・ミルが『自由論』(1859)のなかで、人身の自由、宗教・思想の自由、財産権の保障などの自由権思想と並んで「団結の自由」を新しい自由の目録(カタログ)のなかに加えているのは注目すべきである。なお、イギリスでは1867年には、都市労働者階級に選挙権を与える第二次選挙法改正が実施されたが、ミルは、普通選挙制や女性参政権を主張している。
 ところで近代民主主義思想のもう一つの柱である「私有財産の不可侵」という原則も修正・転換を迫られた。それは具体的には、貧困者の子弟のための公立学校を整備したり、社会福祉や社会保障制度を拡充するために、当時、有産階級のみが負担していた税金の一部をその財源として回すことの可否をめぐって長らく論争が続いた。有産階級は当然に、そのようなことは「私有財産の不可侵」という自由主義や民主主義の精神に反するものとして反対論を唱えた。この問題に関して民主主義思想の転換を論理化したのがT・H・グリーンであった。彼は、人間にとって最高の価値は「人格の成長」(人間らしく生きること)にあるとし、自由は目的ではなく手段であると述べ、公共の福祉のためには個人の自由を制限することもやむなしとする「強制的自由」「積極的自由」という考えを提起した。この理論に基づき、以後イギリスは保守党・自由党を問わず福祉国家の方向へと大きくその政策を転換させることが可能となった。これと思想・方法に関してはかなり異なるが、ドイツでもビスマルクによって、一方では労働運動や社会主義運動を厳しく鎮圧しながら、他方では社会保険制度を設けて弱者を救済するという「アメとムチの政策」がとられている。いずれにせよ、この時期以後、資本主義国家は、自らの存命を図るためにも、弱者救済と不平等是正を掲げる福祉国家政策の採用を迫られることになったのである。
 こうした資本主義国家の自己修正に対して、民主主義の徹底化を唱えて登場したのが、『共産党宣言』(1848)の起草者マルクス、エンゲルスらの社会主義・共産主義の思想であった。社会主義・共産主義は、資本主義に内在する社会・労働問題などの矛盾を指摘し、また資本主義国家が植民地を獲得し植民地人を収奪することによって資本主義の存命を図ろうとしている帝国主義的政策にも反対し、資本主義制度それ自体を廃絶することによって、地上のすべての国民・民族に完全な平等を実現しようとする国際的な性格をもった思想・運動であった。この意味で、社会主義は民主主義を発展させた一形態であるといえよう。社会主義に基づく国家としては、第一次世界大戦後にソ連が現出し(1917)、第二次世界大戦後においては、東欧やアジアにおいて10か国近い国々が社会主義国家となり、一大勢力を形成した。しかし、1989年の「冷戦終結宣言」後、東欧諸国やソ連が社会主義体制を放棄したため、現在では中国、ベトナム、北朝鮮、キューバの4か国のみが社会主義国家として現存している。
 これに対し、20世紀前半には、社会主義に対抗して、ファシズム思想が一時期台頭した。すなわち、1920、30年代から第二次世界大戦終結に至るまでの時期に、ドイツ、イタリア、日本に発生したファシズムの政治形態は、欧米列強に対抗するという理由で、内においては個人の自由や権利を抑圧する独裁政治を敷き、外に対しては帝国主義的侵略を行ったから、民主主義に敵対するものであった。第二次世界大戦は、基本的には帝国主義諸国家間の戦争という性格をもちながらも、他面では民主主義とファシズムの闘いとしてとらえられるのは、この理由による。しかし、これらの国々のファシズムも第二次世界大戦後、敗戦により消滅した。[田中 浩]

戦後の民主主義と日本

第二次大戦後、世界の民主主義は決定的ともいえるほど大きく前進した。それを象徴するものとしては、1948年の第3回国連総会において採択された「世界人権宣言」がある。なぜなら、この宣言では、人権保障の観念が希薄であったファシズム国家が対外侵略によって戦争を引き起こしたとの認識にたって、政治・経済・社会体制やイデオロギーの違いを超えて世界のほとんどの国々が、自由権・参政権・社会権を内容とする人権保障のカタログを民主主義の基本原則として確認しているからである。
 ところで、日本は、明治維新によって近代国家を形成したが、欧米先進諸国に追いつき、それを追い越すことを目標として、当初から「富国強兵」策をとった。それによって日本は、わずか半世紀という超スピードで欧米列強と肩を並べるほどの資本主義国家を形成できた。しかし、日本は欧米流の民主主義国家を形成することには失敗した。なぜなら、維新期から自由民権期に至るわずか十数年間、日本でも民主政治への模索がなされる動きがあったが、「富国強兵」策がそれに優位したために、明治10年代の後半からプロシア憲法に範をとる大日本帝国憲法制定への方向をとったからである。こうして日本は、肉体はりっぱな資本主義国家となったが、精神は国家主義や軍国主義の支配するきわめて封建的・反動的な体質をもついびつな国家に成長してしまった。こうした体制に反対して、第一次大戦後、「大正デモクラシー運動」が起こったが、昭和期に入って軍部が台頭し、押しつぶされてしまった。敗戦により「ポツダム宣言」を受諾した日本は、基本的人権の尊重と民主的な政府の設立、国家主義・軍国主義の排除による平和国家の確立を連合国から要求され、それに基づいて、国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重の三原則を基調とする日本国憲法を制定(1946)し、民主主義国家への道を歩むことになった。戦後50年以上を経過した現在、確かに日本の民主主義は大きく前進した。しかし、現時点においてもなおロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件、あるいは政・官・財の構造汚職に象徴されるような金権政治が横行し、また経済大国にはなったけれども国際理解の不十分さによって世界の他の国々と貿易摩擦を引き起こし、さらには最近の日米安保体制のますますの強化によってアジア近隣諸国から不信感が表明されているような事態を考えるとき、日本の民主主義の抱えている問題には容易ならざるものがあるといわざるをえない。
 また目を世界に転じるとき、東西両陣営の対立は「冷戦終結宣言」(1989)以後、鎮静化されたが、先進諸国とアジア・アフリカをはじめとする旧植民地などの発展途上国との経済格差はいっこうに縮まらず、さらには政治的・経済的・宗教的・イデオロギー的対立を要因とする局地的戦争や民族紛争が依然として世界の各地で発生していることも、国際平和を脅かす大きな要因となっている。
 以上のことを考えると、現代の民主主義は、まずは、国際平和の確立を緊急の課題としている、といえる。今日、この地球上には200か国近い主権国家が共在し相互に関係しあっている。とすれば、各国がそれぞれに民主主義の実現に努力すべきことはいうまでもないが、しかしそれだけではかならずしも十分なものとはいえず、国際的連帯と協力による国際平和の確立なしには、一国における民主主義の実現さえもおぼつかないであろう。「平和権」が新しい民主主義のカタログに加えられる必要性がますます高まってきている、というのが現代の特徴といえよう。[田中 浩]
『田中浩著『ホッブズ研究序説』(1982・御茶の水書房) ▽田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店) ▽福田歓一著『現代政治と民主主義の原理』(1972・岩波書店) ▽ブライス著、松山武訳『近代民主政治』全4巻(岩波文庫)』

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世界大百科事典内の民主主義の言及

【民主制】より

…国民全体の主体的な政治参加を前提とする政治体制を意味するが,現実に全員の政治参加を得て,秩序を形成することは不可能である。したがって,民主制の理念はつねに象徴として機能する。歴史的には,古代ギリシアにおいて君主制貴族制にならぶ政体の一つとされ,多数者による支配を意味したが,極端過激な民主制はかえって無秩序を招き人びとに軽蔑された(アリストテレス《政治学》)。その後,民主制は現実の政治形態としてはあまり注意されないままにきた。…

【議会】より

…なお,このような身分代表から国民代表への代表観念の転換は,同時にかつては諮問的合議体であった議会が,課税同意権を〈てこ〉として立法権を手中にし,ひとつの国家意思を形成するものとなったことにも対応している。
【議会制民主主義の成立】
 身分制議会との対比において上のような特徴をもつ近代議会は,しかし,近代初期と,のちに普通選挙制が成立する段階になってからとでは,その理念が同じでない。近代初期の議会のありかたを実定法化した一典型といえる1791年フランス憲法は,〈国民主権〉の原理を掲げるとともに,その〈国民〉から独立し,〈国民〉にかわって〈国民〉意思を形成する〈代表者〉として,議会(および国王)を位置づけた。…

【世界政治】より

…第2の経済福祉体系の閉鎖性については,戦後賠償問題の処理の過程で,戦敗国ドイツ,戦勝国イギリス,フランスおよびアメリカを結びつける個別国家をこえた金融の流れが,経済復興と不可分であることが実証された。第3の価値体系の排他性についても,民主主義,民族自決主義が西ヨーロッパとアメリカに共通の原則として受容される反面,ボリシェビズムを共通の敵として国際的反共主義が共有されることになった。 こうした古典的主権国家体系の変容は,第2次世界大戦後,さらに一段と深まることになった。…

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