新井 亀太郎
アライ カメタロウ
明治〜昭和期の陸軍中将
- 生年
- 明治8年12月(1875年)
- 没年
- 昭和7(1932)年11月7日
- 出身地
- 群馬県
- 学歴〔年〕
- 陸士〔明治29年〕卒
- 経歴
- 明治30年陸軍歩兵少尉となり、37年日露戦争では第9師団の中隊長として旅順戦、奉天の会戦に参加。大正3年第1次世界大戦には浦塩(ウラジオストック)派遣軍の第4兵站司令官として出征。戦後も部隊勤務が多く、11年歩兵第17旅団長、のち陸軍戸山学校校長を経て、昭和2年中将となり支那駐屯軍司令官、のち第7師団長などを歴任した。6年待命となる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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新井亀太郎 あらい-かめたろう
1875-1932 明治-昭和時代前期の軍人。
明治8年12月生まれ。日露戦争で第九師団の中隊長として旅順戦,奉天の会戦に参加。のち陸軍戸山学校長,第七師団長などを歴任した。陸軍中将。昭和7年11月7日死去。58歳。群馬県出身。陸軍士官学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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