新橋町(読み)しんばしまち

日本歴史地名大系 「新橋町」の解説

新橋町
しんばしまち

[現在地名]長崎市諏訪町すわまち

諏訪町の北東中島なかしま川左岸にある長崎そと町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ南北に形成され、北は本大工もとだいく町、南はてら町に通じる。はじめ毛皮屋けがわや町と称したが、寛文年間(一六六一―七三)新橋町と改称。寛文一二年の間数一一六間・実箇所数二六・諸役御免箇所三(長崎県史)。元禄二年(一六八九)改の間数一一六間余で、二六箇所のうち三箇所が諸役御免(長崎拾芥)


新橋町
しんばしまち

[現在地名]山口市本町ほんまち二丁目の一部

石州街道に沿った荒高あらたか町の東端西門前にしもんぜん町の境を少し南に入った町で、いちさか川に架かる橋までをいう。町名は橋の名によると思われる。橋より南は大附おおづけ町。

山口古図にも新橋町とあり、古くからの名と知れる。山口の町の東南方の入口鰐石わにいし町からまっすぐに石州街道に交わる街路筋にあたるので、大内氏時代には重要な道であったと思われるが、江戸時代には萩からの御成道(萩街道)は、米屋こめや町から今市いまいち町・今道いまみち町を通って鰐石町に出たので町はさびれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む