新田小綱木村(読み)しんでんこつなぎむら

日本歴史地名大系 「新田小綱木村」の解説

新田小綱木村
しんでんこつなぎむら

[現在地名]川俣町小綱木こつなぎ

在郷小綱木ざいごうこつなぎ村の東、高根たかね川・長滝ながたき川の上流域に位置。東は相馬郡比曾ひそ(現飯舘村)、南は山木屋やまきや村。丘陵状を呈し、中央を北流する高根川に沿って山木屋を経て小高おだか(現小高町)に至る街道が通る。東西に走る中村(現相馬市)に至る街道は、ささ峠を経て比曾村に至る。集落は街道や河川に沿う。天正一六年(一五八八)田村氏の内紛により相馬氏と伊達氏が対立した際、相馬義胤は地内の笹峰ささみね大日沢だいにちざわに兵を配し、桜田氏も同地に兵を出したという(「萩平佐藤家系図」佐藤家文書)。寛文一三年(一六七三)小綱木村が在郷小綱木村町小綱木まちこつなぎ村・新田小綱木村に分村して成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む