方保田村(読み)かとうだむら

日本歴史地名大系 「方保田村」の解説

方保田村
かとうだむら

[現在地名]山鹿市方保田

菊池川右岸の台地に位置し、東は藤井ふじい村やしん(現鹿本郡鹿本町)、北は白石しらいし村、西は長坂ながさこ村と接する。正平一七年(一三六二)七月一九日、菊池武明は相伝の「山鹿庄片保田村」のうちで畠一町を広福こうふく(現玉名市)の大智に寄進している(「菊池武明寄進状」広福寺文書)

近世は中村手永に属する。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳では高一千一一一石五斗余、うち田五八九石八斗余・畠五二一石七斗余とある。「国誌」には高一千一五〇石余、「本村日置村馬見塚村西宮村永田村等ノ小村アリ」とあるが、天明元年(一七八一)の下ケ名寄帳では田畠屋敷三八町九畝余、ほかに一一町九反四畝余があり、高五三四石九斗余とあり、日置へき村が分村している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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