日本歴史地名大系 「日置村」の解説
日置村
へきむら
「和名抄」(刊本)に記される
慶長一五年(一六一〇)の検地帳でも「日置庄」とあり、総石高四千四〇〇石余、うち田が三五一町余で三千八〇三石余、畠が五四町余で一八五石余。百姓屋敷三三〇、市屋敷一九、浦屋敷五八で、浦浮役一九一石余、小物成六石余を負担する大村として記される。
日置村
へきむら
現新富町の北部に位置し、南東は日向灘、西は
日置村
ひおきむら
現日吉町の中央部に位置する。中世は
日置村
ひおきむら
日置村
ひおきむら
日置村
ひおきむら
- 京都府:宮津市
- 日置村
天橋立の北方、
慶長検地郷村帳に高一一二九・三八石「日置郷」とみえるが、寛文九年(一六六九)永井尚征が丹後に入部してから、
日置村
ひおきむら
日置村
ひおきむら
日置村
ひおきむら
日置村
へきむら
- 熊本県:八代市
- 日置村
八代城下北東、
日置村
へきむら
日置村
へきむら
日置村
ひきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報