日本歴史地名大系 「日光寺村」の解説 日光寺村につこうじむら 滋賀県:坂田郡近江町日光寺村[現在地名]近江町日光寺顔戸(ごうど)村・新庄(しんじよう)村の東に位置し、村名は寺院日光寺に由来。天正一九年(一五九一)四月の御蔵入目録(林文書)に村名がみえ、高二七二石余。寛永石高帳では高二九六石余、彦根藩領(幕末に至る)。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば人数二五六、うち寺社方七。番場(ばんば)宿(現米原町)の助郷を勤めた(坂田郡志)。北野神社・天台宗日光寺・真宗大谷派啓福(けいふく)寺がある。日光寺は貞観―元慶(八五九―八八五)頃創建され、醍醐天皇の時代に寺領寄付の綸旨を受けたと伝える。 日光寺村につこうじむら 新潟県:糸魚川市日光寺村[現在地名]糸魚川市日光寺四囲を上覚(じようかく)村・四ッ屋(よつや)村・川原(かわら)村・滝川原(たきかわら)村・清水山(しみずやま)村に囲まれる。文禄四年(一五九五)の検地帳(真部虔一氏蔵)によると、検地責任者は増田右衛門尉長盛である。上田三反・中田一町六反余・下田二町余、上畠屋敷四反余・中畠三反余・下畠二町九反余で分米合計六六石三斗余、高持百姓二九、屋敷九とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by