日嶽城跡
ひだけじようあと
標高二〇八メートルの日岳の山頂にあり、開田城・鶴城ともいう。南麓の小城の小名を残す小山(九二メートル、亀城と称する)の二峰からなる。「国誌」によると大野氏が代々居城したが、小代氏と不和となって天正一〇年(一五八二)領地の境界争いから交戦し、滅んだという。鶴城は城床の小名を残す山頂部分に楕円形をした平坦地(東西二五メートル・南北四〇メートル)があり、中央部に花崗岩の巨岩数個が約二・五メートルの間隔をもって二群に分れ堆積している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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