日本歴史地名大系 「日当山城跡」の解説 日当山城跡ひなたやまじようあと 鹿児島県:姶良郡隼人町西光寺村日当山城跡[現在地名]隼人町西光寺天降(あもり)川支流西光(さいこう)川左岸、標高一七六メートルを最高地点とする独立峰にあった山城。建武五年(一三三八)三月二三日の重久篤兼軍忠状(旧記雑録)によれば、同年三月一四日夜、肝付兼重・野辺盛忠・渋谷吉岡孫次郎入道らの南朝勢は、西光寺衆徒覚乗法眼の日当山城を奪い取り立籠った。翌一五日守護代森行重・地頭御家人らがこの城に押寄せ合戦したとある。島津貞久の時代一四世紀前半には中津川勘左衛門が城主という(三国名勝図会)。天文一四年(一五四五)四月一八日清水(きよみず)城(現国分市)の本田董親は日当山城用富(もちとみ)名六町など計一二町を恩賞として島津貴久から宛行われた(「島津貴久宛行状」旧記雑録)。同一七年董親らが姫木(ひめぎ)城(現国分市)を取り勢力を拡張した際、三月二四日北原伊勢守兼守により当城(日当山塁とも)は攻略され、城番が置かれた(「島津国史」、「樺山玄佐譜」旧記雑録など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by