日本歴史地名大系 「日影門外時鐘跡」の解説 日影門外時鐘跡ひかげもんそとじしようあと 岩手県:盛岡市盛岡城下日影門外小路日影門外時鐘跡[現在地名]盛岡市中央通一丁目日影門外裏小路の西裏、遠曲輪の土手の上に鐘撞堂があり、文化年中(一八〇四―一八)以前は三戸(さんのへ)町時鐘とよぶ。城下の時鐘は中津(なかつ)川東岸の斗米(とつこべ)にあるのみで(のちに十三日町に移転)、盛岡回りまで聞えなかったため、延宝七年(一六七九)に盛岡藩主四代南部重信によって造立されたという。「内史略」に「鐘撞堂三間に四間、鐘竜頭迄高さ六尺七寸、径り四尺、惣廻り一丈二尺五寸厚五寸、此入方銅九百五十貫め、錫八十貫め、鉛・丹共六(十欠)貫目也、銘聖寿寺住僧大道和尚作」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by