日本歴史地名大系 「日暮村」の解説 日暮村ひぐらしむら 千葉県:松戸市日暮村[現在地名]松戸市日暮・日暮一―七丁目・稔台(みのりだい)・常盤平(ときわだいら)二丁目・同七丁目・常盤平双葉町(ときわだいらふたばちよう)・常盤平松葉町(ときわだいらまつばちよう)・常盤平柳町(ときわだいらやなぎちよう)・牧の原(まきのはら)など金(かね)ヶ作(さく)村の南、国分(こくぶん)谷の最奥部に位置し、南は河原塚(かわらづか)村。いずれも国分川の水源となる南から順に鳥井戸(とりいど)・子和清水(こわしみず)・西(にし)ヶ沢(さわ)へ向かう三つの支谷が細長く入り込み、支谷部分は谷津田が発達する。いちばん南の支谷と次の支谷に囲まれた台地が明治初めに開拓された初富飛地(はつとみとびち)にあたる。集落の中心は西ヶ沢に延びた支谷の西側付根の台地にあった。「本土寺過去帳」一〇日には「道行位 ヒクラシノニテ被打大坊下人藤八」とみえ、永正五年(一五〇八)一二月の年紀がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by