日田道
ひたみち
田代町昌元寺町口から長崎街道と分れて日田(現大分県日田市)方面へ通ずる道である。分岐点には自然石の追分石があって「右ひこ山 左こくらはかた道」と彫ってある。紀年銘はないが、享和二年(一八〇二)五月、長崎より東上する尾張の商人菱屋平七(吉田重房)の「筑紫紀行」に
<資料は省略されています>
とある。この追分石から東へ姫方村・幡崎村・日恵寺(永吉村内)を経て筑後国小郡村(現福岡県小郡市)へ通ずる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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