旧二本松藩戒石銘碑(読み)きゅうにほんまつはんかいせきめいひ

国指定史跡ガイド 「旧二本松藩戒石銘碑」の解説

きゅうにほんまつはんかいせきめいひ【旧二本松藩戒石銘碑】


福島県二本松市郭内の霞ヶ城公園にある石碑。1749年(寛延2)、二本松藩の5代藩主丹羽高寛(たかひろ)が藩士二本松城(霞ヶ城)登城に際しての戒めとするために建立したもの。藩の儒学者、岩井田昨非(いわいださくひ)の進言によって造られた。藩庁前の長さ8.5m、最大幅5mの自然石に「爾俸爾禄民膏民脂下民易虐上天難欺」と刻んで、藩政改革綱紀粛正指針とした。「なんじの俸、なんじの禄は、民の膏、民の脂なり。下民は虐(しいた)げ易きも、上天は欺(あざむ)き難し」(お前の俸禄は民の汗と脂によるものだ。その民を虐げるのは簡単だが、天は欺けない)、つまり、民を大切にしろ、という戒めである。1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。現在は霞ヶ城公園の東入り口にある。JR東北本線二本松駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む