中国の官僚に支給された俸給は官職の高下に対応して与えられた。魏・晋時代に官品制ができるが,これ以前は,漢代の禄秩の制度にみられるように,中二千石とか六百石とかいう石高で官職の高下を示し,これに対応して大将軍三公の月額350斛(こく)から佐史の月額8斛まで16段階に分かれていた。斛は石と同じで約20lにあたり,これだけの穀物が銭と現物で支給された。官品制ができてからは,官品の高下に対応して俸給が与えられた。例えば宋代では,官品に対して400貫から2貫まで41段階に分けて支給された(文官の場合)が,これ以外に実際に執行している職務についても別の給与が与えられたほか,職務ごとに茶酒薪炭から下僕まで俸給の一環として与えられた。さらに公用銭も職務につけられており,中国歴代の中でも宋代は官僚の俸給が高額であったといわれる。
また宋代には祠禄という特徴的な俸給体系があった。道教の道観(仏教寺院に相当)に管理職を設け,宰相経験者などを優遇する方法がとられていたが,王安石の時代になって新法に反対する人物をこれらの管理者とし,一般の俸給とは別体系の高給を与え経済的に優遇した。これを祠禄というが,道観の管理者とはいえあくまで名目的なもので,実際の仕事はいっさいなく,しかも現地へ赴任する必要もなかったので政敵を排除するため使われた。南宋ではさらに盛んになり,定員もなかったから祠禄の受給者は朱熹(しゆき)(子)をはじめ多数にのぼった。つづく元・明・清も大略宋と同じように運営されたが,原則として米を支給し,一部を紙幣である鈔に代えた。しかし米も鈔も恒常的な価値をもっていないから,さらに綿布や絹に交換したが,このとき大変な差損を生じた。明代中ごろから銀に交換することが行われたが,10石の米が3銭の銀になったといわれ,官僚の収入は目減りがひどく,その分汚職と賄賂が横行していった。
なお,日本における俸禄の制度については〈家禄〉の項を参照されたい。
執筆者:衣川 強
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…封建時代に主君からその家臣または,これに準ずる階級の者に給与された知行,俸禄をいう。家禄は中世にもみられるが,幕藩制時代の近世に典型的にみられる。…
…要するにヨーロッパと日本で,このように法や秩序のあり方が異なることをさしおいて,知行をGewereないしpossessioと比較することは意味がないのである。 近世に入ると知行は武士の俸禄を指すようになる。このように俸禄と知行が結びついたのは,武士の身分が近世になると権益と切りはなされ,請負的性格を失って,ほぼ純粋に職務ないし職分として観念され,〈自分のものにする〉対象ではなくなり,職務に対する報酬たる俸禄だけが〈自分のものにする〉対象として残ったことを示している。…
※「俸禄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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