日本歴史地名大系 「早尾原村」の解説 早尾原村はやおばるむら 大分県:大野郡朝地町早尾原村[現在地名]朝地町上尾塚(かみおつか) 上尾塚大塚(おおつか)村の南西、大野川北岸にある。正保郷帳に村名がみえ、田高五三石余・畑高三九石余、大方(おおがた)郷に属した。「豊後国志」に早尾原村はみえず、代わって田尾(たお)村がみえ、江戸時代後期には村名が田尾に変わったと推定される。旧高旧領取調帳には田尾村とあり、高一一二石余。安永七年(一七七八)には直入(なおいり)郡挟田組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。明治八年(一八七五)大塚村など二村と合併、上尾塚村となる。真宗大谷派明専(みようせん)寺は万治四年(一六六一)の開創(豊後国志)。もと大野川の蝙蝠(こうもり)滝上にあったが、のち現在地に移されたという。同派有縁(うえん)寺は明暦年間(一六五五―五八)の創建(同書)。寺伝では寛永申年(寛永九年、一六三二)創建といい、本尊阿弥陀如来は春日の作と伝える(朝地町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報