早川千吉郎(読み)はやかわ・せんきちろう

朝日日本歴史人物事典 「早川千吉郎」の解説

早川千吉郎

没年:大正11.10.14(1922)
生年:文久3.6.21(1863.8.5)
明治大正期の大蔵官僚,実業家加賀藩(石川県)藩士早川恕忠の長男。帝大法科大学,同大学院で学んだのち,松方正義知遇をえて大蔵省に入省,参事官,書記官,大臣秘書官,貨幣制度調査会幹事,日本銀行監理官などを歴任,明治29(1896)年日清戦争賠償金の受領整理公債のロンドン上場,32年4分利付英貨公債のロンドンでの発行などに活躍した。33年7月井上馨の推薦により,三井家同族会理事就任,翌34年10月には死亡した中上川彦次郎の後任として三井銀行専務理事に就任し,同行の預金準備を充実させ,同行を日本銀行借入金への依存から脱却させた。さらに預金に対する消極方針と外国・証券業務の拡充をめざす「フィナンシャー」化路線を推進した。42年三井銀行が株式会社に改組されると筆頭常務取締役に就任,引き続き同行を主宰した。43年の4分利国債引受に当たっては,政府,日本銀行との協議に加わるなど重要な役割を演じた。大正3(1914)年8月三井合名会社参事となり,7年1月三井合名会社副理事長に就任するとともに,三井銀行常務を退任した。9年6月副理事長を辞任,貴族院議員勅選されたが,10年5月南満州鉄道株式会社社長に就任した。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』

(粕谷誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「早川千吉郎」の解説

早川 千吉郎
ハヤカワ センキチロウ

明治期の銀行家 三井銀行筆頭常務;満鉄社長。



生年
文久3年6月21日(1863年)

没年
大正11(1922)年11月14日

出生地
加賀国(石川県)

学歴〔年〕
帝大法科大学(現・東大法学部)卒

経歴
明治23年大蔵省に入省、参事官、書記官、大臣秘書官、日銀監理官など歴任。33年井上馨の推挙で三井銀行に移り、初めは三井同族会の理事。翌年中上川彦次郎の死去後、その後任として、以来17年間三井銀行の専務理事(42年筆頭常務)となり、終始潤滑油としての存在に徹する。大正3年三井合名会社参事、7年副理事長に就任。9年勅選貴院議員、10年満鉄社長となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川千吉郎」の解説

早川千吉郎 はやかわ-せんきちろう

1863-1922 明治-大正時代の官僚,実業家。
文久3年6月21日生まれ。加賀金沢藩士の子。明治23年大蔵省にはいり,各種銀行の設立に参画し,貨幣制度調査会幹事となる。33年三井に入社し,のち三井銀行専務理事,常務をつとめ,大正10年満鉄社長。大正11年11月14日死去。60歳。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「早川千吉郎」の解説

早川 千吉郎 (はやかわ せんきちろう)

生年月日:1863年6月21日
明治時代の銀行家。満州鉄道社長
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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