早戸村(読み)はやとむら

日本歴史地名大系 「早戸村」の解説

早戸村
はやとむら

[現在地名]三島町早戸

三更みふけ(現金山町)の東にあり、只見ただみ川北岸山中に位置し、村中水沼みずぬま(現同上)に至る道が通る。村の東一二町には端村滝原たきはらがある。「会津風土記」に「早戸」とある。戦国期は西方にしかたの山内重勝の給地で、「会津古塁記」に「館、東西廿八間、南北廿七間、天正ノ頃佐久間新蔵住ス」とある。化政期の村高一四二石余(会津鑑)、家数本村二二・滝原二三(新編会津風土記)。天保八年(一八三七)の公儀様御順村書上帳(中丸家文書)では高一四七石余、漆木五千三六四本、名主新助、組頭久之丞、百姓代五右衛門の名がみえる。同一三年の大石組人別家数増減書上帳(同文書)では、家数三七、人数一六六(男八四・女八二)、牛一〇とある。


早戸村
はやとむら

[現在地名]福山市赤坂あかさか町早戸

加屋かや村の南に位置し、中世以降の山陽道が通る。「備陽六郡志」に「福島引渡帳には隼人むらと有」とあるが、元和五年(一六一九)の備後国知行帳や「寛文朱印留」その他に隼人の表記はみえない。村高は元和五年一六一石余(備後国知行帳)、元禄一三年(一七〇〇)五一六石余(備前検地帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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