日本歴史地名大系 「昌元町」の解説 昌元町じようがんちよう 長崎県:下県郡厳原町府中城下昌元町[現在地名]厳原町大手橋(おおてばし)船蔵(ふなくら)町の東に位置し、北に丸山(まるやま)、南に飯盛(いいもり)山がある。府中(ふちゆう)商人町二四ヵ町の一つ。丸山の南の岩崎(いわさき)辺りは江口(えぐち)と称され、入江昌元の勢力下にあった浦であることから昌元浦とよばれ、のち陸化して町屋を形成、昌元町ともよばれたのであろう。浦から立亀(たてがみ)庵に向かう小路の途次にかつての牢屋に通じる細道がある(以上「楽郊紀聞」)。延宝四年(一六七六)の屋敷帳(宗家文庫文書)に「昌元町」三五軒とある。同九年の年行司町人返答書(同文書)に「昌元浦」とみえ、本家・借家合せて四六、人数二二九で、小商売・水夫などを生業とし、鯨運上は一本につき銀一〇枚、請浦運上五〇枚。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by